遅咲きと言われる名優
俳優の道は、電車の中吊りで「タレント募集」の広告を見てふと興味をもち、応募したことから始まった。
「高校をやめてからは、アルバイト三昧でしてね。といってもちょっと嫌なことがあるとすぐやめちゃいまして、こらえ性がないんです。やめ癖がついちゃって目標もないし、むちゃくちゃ怠惰な時代でした。そんなときなんです、広告見たのは。17歳だったかな」
このころのことで、いちばんに思い出すのは父親に殴られた日だという。
「ガスの配管工をしてたんですが『親父だって、たいした仕事してないじゃないか』って言ったもんだから、ボコボコにされました。ふだんは穏やかな人なんですけど」
親の心配はわかっていたが、人生がうまく回らず、たえず苛立っていた時期だった。いつも何かに飢えていた。
養成所に入ってまもなく「人間を演じることの面白さ」を肌で知って、初めて心が高揚する。「俳優しかない」。新宿の家賃3万5千円の古アパートを借りて奮闘を始めたが、注目を浴びる40代までは下積みの葛藤が続いた。
「あるところでは個性がないと言われ、あるところでは強すぎると言われてましてね、いったい何なんだよって」
20歳で、仲代達矢の主宰する『無名塾』に700人中の5人として合格するが、その栄光を10日で蹴っている。「規則正しい時間の中で皆と長く過ごす、そういう強制的なのがすごい苦手なんで。今なら耐えられますけど」。