何年か、あるいは何十年か先に病気や老いによって使わなくなる日は必ず来る。その先には、誰かに相続させねばならない日が来ることも避けられない。その時、不動産を受け継ぐ人はどうなるのか?
かつての日本は、そういう心配をする必要がなかった。今よりもずっと人口が少なかった鎌倉時代でも、日本人の価値のよりどころは土地であった。今は「一生懸命」というが、そもそもは「一所懸命」。ひとつの土地を手にすれば、そこは命をかけてでも守るというのが日本人一般の価値観だった。
その価値観が続いたのはおよそ平成の前半あたりまで。それまでは、日本国中のあらゆる不動産で「タダ同然」のようなものはほとんどなかったし、山林や原野でも、安くすれば買い手はついたが、今は違う。お金を払ってでも引き取り手が見つからない不動産が日本全国に広がっているのが現実である。
ゼロ円不動産は、バブル時代に高値で取り引きされたリゾート地のマンションでも出回るようになったが、不動産というのは何かに使ってこそ価値がある。その「何か」に需要があれば、価値が再び高まることもある。
先日、あるテレビ番組のロケに参加して取材した新潟県湯沢町のリゾートマンションでは、管理会社が主導することで管理組合を説得。管理規約を改正して民泊に乗り出していた。年間に1日も使用されず、管理費や修繕積立金、固定資産税が全額持ち出しになっていた住戸を民泊に利用し始めたのだ。料金は1泊9000円から3万円程度。
住宅を民泊に使う場合、年間180日までという制限がある。しかし、主に冬しか利用されない湯沢のリゾートマンションなら、180日でも十分。民泊マッチングサイトに登録して募集したところ、利用者が相次いだという。年間200万円前後の実績を残した住戸も出てきた。これによって、そのマンションの住戸価格は10倍以上に値上がりした。不動産というものは、このように活用できれば価値が生まれ、高まっていく。
かといってゼロ円不動産を入手して闇雲に民泊を始めてもうまくいくとは限らない。民泊を管轄する自治体によっては、意地悪としか思えないほど複雑で煩雑な書類の提出を求められ、個人レベルでは対応がかなり困難だ。この湯沢のケースはいくつかの好条件が重なって結果を出せたといえる。