大麻取締法違反罪で起訴。保釈され、報道陣の前で土下座する田口淳之介(時事通信フォト)
「ほんとの父親は酒癖悪くてママに暴力、再婚相手の男は多分暴力団だったんだと思います。二人で暮らしていた時は、ママは優しかった。でも二年くらいかな? ママはもう別人になっちゃったんです」
かな子さんが見たのは、覚せい剤を用いて行為にふける母親と男の姿。男は寝ているかな子さんをわざわざ起こして、見せつけた。夕方に学校から帰ると、玄関のドアに鍵がかかっていたが、中から聞こえるのは母親と男の甘えた声。誰にも相談できず、助けを求めることもできず、近くの公園の遊具の中で一晩を過ごしたこともあった。そしてこの幼少期の悪夢は、かな子さんの後の人格形成に甚大な影響を与えることになる。
「援交(援助交際)は中2くらいからですね。ママも汚れてるし、私もそんな家庭で育ってるから、援交したっていいかなって。親父とか相手して気持ち悪いんだけど、私の方が汚いじゃんって、お金も稼げるし。でもクスリだけはやんなかった。ママが、一人の人間が壊れていく感じが怖かった」
その後、かな子さんはアパレル店の販売員に転職。今では結婚し、二人の子供の母親だが「薬物を使用する人の周りは全員が被害者だと思う」と、かつては薬物とは無縁だった母親をかばう。だからこそ「薬物がなければ幸せだったのかもしれない」と、想像すると自然と涙がこぼれるという。
違法薬物の蔓延を黙殺した結果、人生の全てを失った、という人も存在する。
「店を出すのは長年の夢でした。夜の仕事ということで、少し怪しい界隈のお客さんと付き合うこともあるのはわかっていましたが、夫は必死でした」
名古屋市内の元飲食店経営・上坂恵さん(仮名・40代)が、夫ともに繁華街にダイニングバーを出店したのは約十数年前のこと。深夜営業の店には、仕事終わりのサラリーマンを中心に様々な層の客が訪れたが、終電を過ぎると客足がぱたりと止む。当時の不況も悪循環を後押しした。そこで夫が頼りにしたのは、キャバクラやクラブ帰りの「アフター客」や夜職の客。皆金遣いも荒く、経営は軌道に乗ったかに思えた。しかし、目論見は狂った。
「VIPルームというか、個室を用意していたんですが、そこでお客さんがドラッグをやるようになったんです。最初は大麻だったと思います。夫は気が付いていましたが、背に腹は変えられずで、消臭剤をまいたり空気清浄機を増設してやり過ごしました。すると、別の常連客、この人がヤクザだったんですが”店を使わせなかったら(薬物黙認の件を)バラす”と脅されました。地域一帯で暴力団排除の風潮があったのですが、夫は弱みに付け込まれました。そのうちこの人物が連れてくる反社系の客を受け入れるようになり、店は薬物の取引現場のようになってしまうと、常連さん、一般のお客さんが来なくなった。夫は薬物など絶対にやらなかったんですが、付き合いということで買わされていたようです」