周囲から恋多き男性として知られたエドワード8世であったが、王太子時代にアメリカ人女性ウォリス・シンプソン夫人と恋に落ちた。しかし、人妻との結婚が許されるはずもなく、エドワード8世は独身のまま即位した。
即位後もウォリスを諦めることができなかったエドワード8世は、ほどなくして王冠を取るか彼女を取るかの二者択一を迫られることに。迷わず後者を選んだ彼は、英国王室を後にした。退位宣言が発せられたのは1936年12月11日で、即位から一年も経たずしてのことだった。
もう一人のヘンリー8世(1491-1547、在位は1509-1547)はカトリックからの独立を図り、英国国教会を築いた人として歴史に名を刻んでいる。だがその動機は、はなはだ政治的かつ個人的なものだった。
国王が戦場で指揮をとる機会があるかもしれないという理由から、複数の男子後継者を求めたことが、ヘンリー8世による騒動の根本原因だった。
子供を産まない夫人、もしくは女子しか産まない夫人とは別れ、新しい夫人を迎えたいと思っても、カトリックでは離婚が禁止されている。離婚をするためには、先の結婚が無効であったことを教皇に公認してもらう必要があった。
ところが、ヘンリー8世の最初の夫人キャサリンはハプスブルク家の出身で、ときの神聖ローマ皇帝の伯母にあたった。当時ローマは皇帝軍の管理下にあったから、教皇といえども神聖ローマ皇帝の意向に反する行為はできない。
すでに次の夫人に決まっている女性が臨月に近づいており、離婚しなければその子は庶子扱いで、王位継承権を得られなくなってしまう。焦燥に駆られたヘンリー8世は、やむなき選択としてカトリックからの独立を選び、それからは独自の教会のもと、5回も離婚と再婚を繰り返したのだった。
ヘンリー8世やエドワード8世の先例に比べれば、ヘンリー王子夫妻の騒動はまだ可愛いほうかもしれない。
【プロフィール】しまざき・すすむ/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。著書に『ざんねんな日本史』(小学館新書)、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』(辰巳出版)、『いっきに読める史記』(PHPエディターズ・グループ)など著書多数。最新刊に『ここが一番おもしろい! 三国志 謎の収集』(青春出版社)がある。