騎手に会うとき、私は申し訳なさと恥ずかしさで巨躯を縮める。彼らは小さい体で大きく稼ぐ。一方の私ときたら……。だが「稼ぎは馬の体重込みだ」と開き直れば少しは胸も晴れる。彼らは小さな体で大きな馬を操るプロなのである。
期待馬が凡走したとき、憤懣の矛先は鞍上に。最後の直線でも、ファンが声を張り上げるのは騎手名だ。勝利インタビューに登場するのは馬ではなく騎手である。
馬が喋ってくれたらといつも思う。「4角前に叩くこたぁねぇだろよ。ゴーサインが早すぎるぜ」なんて。冒頭の「16」なら「ヤル気ゼロだったけど、うまくノセられちゃったわね」なんてね。
さて「騎手は無関係、あくまで馬で買う」という御仁もおられるだろう。しかし誰が手綱を取るかは重要である。「鞍上は贔屓の○○か」と掛金を増やす場合もあるだろうし、「△△には裏切られるからな」と手を止めることもありましょう。
私は馬との相性を重視したい。返し馬で鞍上との呼吸が合っていたら厚めに。パドックでは良かったのにギクシャクしていたら切る。
ひとつのセオリーがある。「新馬戦にはベテラン」。経験豊かで引き出しの多い騎手に、若駒に競馬を教えてもらいたい――そんな陣営の思いがありそうだから。
●すどう・やすたか 1999年、小説新潮長編新人賞を受賞して作家デビュー。調教助手を主人公にした『リボンステークス』の他、アメリカンフットボール、相撲、マラソンなど主にスポーツ小説を中心に発表してきた。「JRA重賞年鑑」にも毎年執筆。
※週刊ポスト2020年2月14日号