僕は上半身が柔軟すぎるとバッティングでバネを使えなくなると考えていました。上体の柔らかさよりも、体を回転させて一気にほどくイメージで打っていたので、カネさんの理論は取り入れなかった。けれどケガ防止につながる下半身の柔軟体操は“金田式”を手本にしました。僕たちは「ONK」と呼ばれましたが、野球を学ぶという意味では、長嶋さんよりカネさんに教わったことのほうが多かったですね。
ただ、カネさんとチームメイトになると初めて聞いた時は、寂しい気持ちも少しありました。今までムキになって向かっていった相手がいなくなったわけだから。勝負できなくなって残念だった。
カネさんもジャイアンツに来て窮屈さはあったんじゃないかな。移籍1年目でいきなり開幕投手を任された。国鉄時代は“天皇”と呼ばれ、監督人事まで口を出したというけど、厳格な川上(哲治)監督の下ではそうはいかなかった。
振り返れば、カネさんは自分の思い通りに生きた人だった。高校3年生の17歳で中退してプロの世界に入り、400勝という数字だけでなく、4490奪三振、投球回数5526.2イニング、365完投などの塗り替えることができない難しい記録が証明している。この世界に入ったら限界まで突き詰めてやらないと面白くない。今の選手はやり残したことだらけ。そういう意味ではカネさんは幸せですよ。