監督として通算1565勝をあげ野村克也さんは生前、「江本(孟紀)、門田(博光)、江夏(豊)の『南海の3悪人』に、指揮官として育ててもらった」とよく口にした。個性豊かな主力選手と向き合うことで、監督としての基礎を学んだのだという。名前の挙がった一人である江本孟紀氏(72)は、1971年にドラフト外で東映に入団後、2年目に南海へトレードされ、野村さんと出会った。
1973年10月、パ・リーグ前期1位、後期3位でシーズンを終えた南海は、パ・リーグ優勝を目指して阪急とのプレーオフを戦った。その結果、3勝2敗で南海が優勝、巨人との日本シリーズに歩を進めた。当時、選手兼任監督の野村さんとバッテリーを組んでいた江本氏が、同プレーオフで体験した「捕手・ノムさんのリード」を振り返る。
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「悪人」と言われますが、ボクはノムさんのサインに首を振ったことなんて一度もないですよ。南海にいた4年間で1度もない。サインを出すのが捕手兼監督だから、その通りに投げて打たれても、監督が悪い。ボクの責任にならないですからね。そういう、ある種の開き直りがありました。
ただ、ノムさんは「ワシのサインが気に入らんかったら、遠慮なく首を振れ」と言っていたし、サイン通りに投げて打たれると、ベンチに戻ってから「悪かったな。すまんすまんワシのせいや」と謝りに来てくれました。
ノムさんのリードの基本はインハイ・アウトローの対角線。しかし、ボクの場合は、ここぞという場面で「ど真ん中のストレート」を要求された。ボクはコントロールが安定している時はいいが、突然乱れることがある。その兆候が出た時に、「ど真ん中のストレート」のサインが出るんです。それを見ると、“(ノムさんが)オレの調子が悪くなったのを気が付いたな”と感じましたね。
とはいえ、ボクの球は江夏と違って要求されたところにはいかない(笑い)。アウトローに流れるか、インハイに浮く。そうなると、打者は配球が読めないし、こちらはプレッシャーなく思い切って投げ込める。そんな一石二鳥を狙うのが、ノムさん流のリードでした。
1973年に、当時の絶対王者・阪急とぶつかったパ・リーグのプレーオフでは、その「ど真ん中のストレート」でリーグ優勝を手にしました。