「障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックをはじめ、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います」
渡邉氏は「お言葉」のこうした箇所を聞いたとき、「パラリンピック」が両陛下の長い「旅」にとっての一つの原点であったことをあらためて実感した、と言う。
「陛下にとっても皇太子としてのご自身の仕事のあり方を模索していた最初の時期に出合ったパラリンピックは、沖縄と同様に大きなものだった。自分たちが何をすべきか、という大きなフォーカスとして見えた、ということだったのではないかと思うのです」
◆ハシ先生と美智子妃、奇跡の瞬間
最後にもう一つ、紹介したいエピソードがある。
美智子妃とともに語学奉仕団を作り上げ、1995年に86才で死去した橋本祐子の最晩年のことだ。
70代の頃から認知症の症状が出始め、老人ホームで長く暮らした橋本はその頃、親戚の顔を見ても区別がつかなくなっていたという。認知症への理解が進んでいない時代背景もあり、施設の職員からぞんざいに扱われるようなこともあったようだ。
だが、そんな待遇が一日のうちに変化する出来事がしばらくして起こる。彼女の入所している施設を美智子皇后(当時)が訪問したのである。
2人の再会を近くで見守った吹浦氏は、そのときのことが忘れられない。
「面会の時間は30分だったのですが、美智子皇后と話をされてもハシ先生には全く通じなかったんです。それでも、粘り強くお話をされていました」