これに応える形で、毎年、国体後に開かれるようになったのが全国身体障害者スポーツ大会(現・全国障害者スポーツ大会)である。
両陛下はその後も障害者スポーツの発展を見守り、様々な大会への臨席やパラリンピック後に始まった車椅子バスケットボールの発展などを陰ながら支えた。その中で、障害者スポーツや語学奉仕団の関係者とも深い交流を続けたのである。
渡邉氏は、両陛下の障害者スポーツとのかかわりの深さを象徴する次のような風景を見たと振り返る。
それは即位10年を記念して江戸川区の競技場で障害者スポーツの大会が開かれたときのことだ。その日、大会に臨席された両陛下は、競技場をいつものようにゆっくりと歩き、走高跳や砲丸投げなどの競技を熱心に観戦していた。
印象的だったのは、その度に選手やその家族、関係者と親しく話すお二人の様子に、普段とは異なる極めてリラックスした雰囲気があったことだったという。
「障害者のスポーツ大会には、大々的なオリンピックや国体とは異なり、スタジアムの片隅に選手と家族、サポーターが集まっているような家族的な雰囲気があります」
彼の胸に強く残ったのは、そのとき両陛下と選手や大会関係者の間に、「人間的なつながりの深さ」のようなものを感じたからだった。
「障害者スポーツの世界にはお二人が昔からご存じの人たちが多くいて、選手たちにもとても良い意味での気安さがある。お二人は大会の来賓というよりも、彼らの仲間のひとりに見えました。いわば志を同じくする人たちの集まり、というのかな。僕はそのとき、両陛下もまた、彼らの『つながり』の一部としてそこにいるんだ、と実感したんです」
◆天皇在位最後の「お言葉」に込められた思い
パラリンピック後、語学奉仕団のメンバーの中にも、美智子上皇后の良き相談相手になり続けた者がいた。上皇后は語学奉仕団の集いにも折に触れて出席してきたという。
そうした「1964年のパラリンピック」に始まるコミュニティーは、史上初めて民間から皇族に入った上皇后にとって、立場を離れて素顔を見せられる数限られた場所だったのかもしれない。
また、美智子上皇后とともに歩んだ上皇は、天皇としての在位最後の誕生日の「お言葉」でこう話している。