真栄田がオーディションに来た日を知るダーティービューティーのひーぷー
◆原点は「オリジン・コーポレーション」
そうして真栄田は大学3年生のとき、沖縄の芸能プロダクション「オリジン・コーポレーション」のオーディションを受けた。オリジンは真栄田が大学生になる前年、1996年に誕生したばかりの沖縄の新しい芸能事務所だった。現社長が、結婚式の2次会で、ダーティービューティーというコンビの漫才を見て感激し、その2人を売り出すために立ち上げた事務所だった。
ところが、オリジンを立ち上げたとき、すでに28歳だったダーティービューティーはほとんど売れることがないまま、1998年12月、30歳になったのを機に解散してしまう。ツッコミ役だったひーぷーは沖縄人に受け入れられなかった理由をこう読み解く。
「ダウンタウンさんに憧れていたので、芸風的に、どつき漫才だった。今はもうそんなことないでしょうけど、その頃、沖縄の人は、どつくと『痛そう~』って引いちゃう感じがあった。優しい笑いが好きなんです。僕らは言い方がキツかったんで、ちょっとガラが悪い感じに映ってしまったのかもしれません」
ひーぷーはコンビ解散後、ピン芸人になってからようやく才能を開花させる。今では11年続く冠番組を持ち、沖縄では知らない人はいないほどの人気者となった。真栄田がオリジンの門を叩いたのは、ダーティービューティーが解散した直後だった。ひーぷーが当時を思い出す。
「うん、覚えてますよ、(真栄田)賢が来たときのことは。僕、オーディションの審査員をやってましたから。どこのホストかって思うほど、チャラい格好をしてたんですよ。その上、声がガサガサなんで、半分以上、何言ってるかわからない。なので案の定、落ちた。でも代表(社長)はいつもそうなんですけど、落ちたやつにも、その後、電話して、事務所に呼ぶんです。当時はタレントの人数がそもそも少なかったんで。それで見習い期間としてしばらく面倒を見て、やる気のあるやつは残る。僕は賢に『お前は向いてないと思うよ』って言ったんですけど、それでも彼は残りましたね」