内間も真栄田に続いてオリジンに入所する。内間は「コットン内間」という芸名で、やはりピン芸人として活動を始めた。ところがまったくウケなかった。
たとえば、フルフェイスのヘルメットを被り、着物姿で出てきて、訳のわからないことを呟いて去っていく。内間曰く「思いつきでどんどんやってただけ」という。計算で笑いを取る真栄田とは正反対だった。ひーぷーは苦笑まじりに回想する。
「内間は、ひどかった。こんなの絶対ウケるわけないだろってことばっかりやってましたから。今、考えたら、すごいっちゃすごいんですけどね。皇族の格好してネタやったりするんですよ。いつも『お前、チャレンジャーだな』とは言ってました」
内間の挑戦は、ネタだけに止まらなかった。オリジンのライブではまったくウケないまま、およそ1年後、東京進出を思いつく。オリジンを辞め、東京NCS(吉本興業の芸人養成スクール)に入学することにしたのだ。内間が語る。
「その頃のおれはいつもそうだったんですけど、人のせいにばっかりしていたので。ウケないのはおれのせいじゃなくて、沖縄の環境が合ってないんだと。社長は、おれが東京へ行くって言ったとき、反対しようと思ったらしいけど、おれと話しても無理だって思ったみたいです」
真栄田も冷めた目で見ていた。
「みんな何も言わなかったけど、やめたほうがいいと思ってましたね。でも、あの頃の内間はライブ後の反省会とかも平気でサボるし、やばいやつだったので」
この時、少なくとも、真栄田の中で将来、内間とコンビを組むことになるとはつゆほども考えたことはなかった。(第3回に続く)
文●中村計(なかむら・けい)/1973年千葉県生まれ。同志社大学法学部卒。著書に『甲子園が割れた日 松井秀喜5連続敬遠の真実』『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇』など。ナイツ・塙宣之の著書『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』の取材・構成を担当。近著に『金足農業、燃ゆ』。