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2020.04.06 16:00  NEWSポストセブン

スリムクラブ沖縄時代、真栄田と内間が笑いの門をくぐった日

内間の感性を真栄田が見出した

 漫才頂上決戦「M-1グランプリ」の2010年大会で、「スローテンポ漫才」を披露して準優勝に輝いたスリムクラブ(真栄田賢・44歳と内間政成・43歳)。絶妙な間合いで笑いを生み出す彼らだが、約20年前に地元・沖縄でピンとして活動していた当時は、コンビを組むことすら考えていなかったという。知られざる沖縄時代のスリムクラブについて、ノンフィクションライターの中村計氏がレポートする(全5回連載/第2回)。

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 内間の感性を象徴するエピソードがある。ボケ役で、コンビの操縦士と言ってもいい真栄田の回想だ。

「大学の近くに西原って飲み屋街があって、そこを2人で歩いていたら、単色の、きれいなゲロがあったんです。そうしたら、内間が『このひと、一品しか食べてない』って。そんなこと言うやつ、なかなかいないでしょ」

 2人がまだ琉球大学の1年生だったときの話だ。高校まで学年は真栄田が1つ上だった。ところが、大学受験の際、真栄田は三浪、内間は二浪したため、大学で同学年になった。その吐瀉物の一件がきっかけとなりコンビを組むようになった、というほどの話ではない。ただ、真栄田の中で、内間とはこういう人間なんだと強くインプットされた出来事ではあった。

 2人が出会ったのは、ともに琉球大学に入学し、ひと月ほど経った頃だった。真栄田の知り合いが、おもしろいやつがいると、真栄田と内間を引き合わせてくれたのだ。それから2人は、クラブなどへよく飲みに行くようになった。一緒にナンパもした。だが、関係は、それ以上でもそれ以下でもなかった。平たく言えば、飲み仲間の内の1人だった。

 教師志望の真栄田は教育学部を選択し、具体的な将来設計を持たない内間は法文学部に通っていた。芸人の道に足を一歩踏み入れたのは、真栄田が先だった。真栄田は大学でプロレス同好会に所属していた。そこで、マサ斎藤という名レスラーをもじって「マサ最高」の名でリングに立っていた。

「まあ、コメディーレスラーっていうか、第1試合で笑いを取る役割でした。白いブリーフをはいて出て行って、『パンツドライバー!』ってやってたんです」

 パイルドライバーの和訳は「脳天くい打ち」。つまり、頭から地面に叩き落とす技なのだが、その際、相手の頭部をパンツの中に入れるというのがマサ最高の得意技だった。

「ある日、それの応用で、フルチンで、『ノーパン式パンツドライバー』っていうのをやったら、めちゃくちゃウケたんですよ。そこで僕は快感を覚えちゃったんです。それまでは、おもしろいといっても、クラスの人気者みたいな感じだったんです。でも、知らない人にも笑ってもらって、おれの笑いは身内以外でも通用するんじゃないかと」

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