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2020.04.06 16:00  NEWSポストセブン

スリムクラブ沖縄時代、真栄田と内間が笑いの門をくぐった日

 オリジン所属の芸人は月1回、事務所主催の定期ライブに出演することができた。そこで真栄田はさっそく頭角を表した。真栄田が当時の芸風を振り返る。

「最初は陣内(智則)さんのパクリばっかりやってました。すごい好きだったんで」

 陣内は1人コントを得意とする芸人である。効果音、音楽、映像等を駆使し、それに対して突っ込むという独特な世界観を作り出し、今なお陣内の発明はさまざまな芸人に影響を与えていると言われる。真栄田が準備してきた小道具を操作するのは、演出を手掛けていたひーぷーだった。

「当時、沖縄であんなことのできる芸人はいませんでした。すごい緻密な台本で、音を出すタイミングとか、本当に緊張しましたね。僕と息が合わなかったら、台無しになってしまうので。いつもあいつの台本見るの、怖かったですもん。またこんなに仕掛けがたくさんあんのか……って」

 会場はいつも大爆笑だったが、真栄田の中では、どこか満たされない部分があった。

「システム自体がよくできてるんで、ウケはするんです。でも所詮、人の真似ですし、周りの芸人からは、普段のお前の方がおもしろいんだから、それを出した方がいいんじゃないかみたいに言われてて。それで音響などに頼らず、1人でアホなことをほざくみたいなことをやり出したら、そんなにウケなくはなりましたけど、気持ちは良かった。本音を吐けるので。男の人だけが笑う、ちょっとマニアックな笑いになっていきましたけど」

 一方の内間はその頃、そんな真栄田のことを客席から眺めていた。

「オリジンのライブ、しょっちゅう行ってましたから。だいたい2、3人を目当てで行くんですけど、賢さんはそのうちの1人でしたね」

 客席の反対側、ステージに立つことに惹かれたのは内間が就職活動を始めた頃だった。

「自分の人生に迷ってて、就職したいっていう気持ちがなくなってしまったんです。母親がけっこう教育ママで、やってもいないうちから、どうせ失敗するんだからダメだっていうタイプだったんです。だから、本音を言えない、何々をしたいって言えない人間に育ってしまった。その窮屈さから解き放たれたくて、一つの反発として、だったらお笑いに行こうとふと思ったんです。自由を求めて」

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