◆この仕事をしていると、日本人のことが大嫌いになる
人それぞれの考えだが、確かに命をかけてまでやるべき仕事など限られる。ましてや他人の稼ぎのためにかける命などさらに限られるだろう。そんなことはないと言う人もいるだろうがどうだろう、それもまた個々人の価値観でしかない。
「大げさに思う人もいるかもしれないけど、本当に怖い。誰がコロナかわかんない状態で一日店で応対するんですから。でも、仕事を辞めるわけにはいかない。詳しくは言えませんが、妻は病気でフルタイムでは働けない身です。仕送りが必要な施設で暮らす母親もいます。マンションのローンもあります。大半の人は俺のように背負うものがあって働いているわけで、そんな簡単に辞められませんよ」
それはそうだろう。40歳も過ぎたら社会の大半はそれが当然の身だ。そして普段なら何とかやっていけるサラリーマンだが、一部の高給取りを除けば厳しくなる。
「たいして金も貯まらない薄給社員なんて一寸先は闇ですよ。蓄えはあるけど、何年も家族で籠もれるほどじゃない」
そんなことが出来るのは富裕層だけであり、なんでもない日常を脅かされるのはまずこういった平均的な労働者だ。年収300万だ、400万だのサラリーマン、とくに小売、外食、物流(とくにトラックドライバーなど)はいとも簡単に詰んでしまう。その多くはリモートワークなど無縁の現場仕事であり、そういった仕事こそ特需じゃないかと指摘する向きもあるだろうが、いま日常を脅かしているのはコロナという未知の疫病だ。いつ自分が罹り、死んでしまうとも限らない。それでも近藤さんは店で働かなければいけない。会社や本部は「世のため」と表向きは言うかもしれないが、何より利益のためであることは明白だろうし当然のことだ。しかしそんな命令、現場の当事者からすれば割に合うわけがない。
「だから早くロックアウトでも緊急事態宣言でも出して欲しいんです。そうすれば会社も言うことを聞く」
そう訴える近藤さんだが、私は外食や小売の体質を考えると悲観的だった。それに生活必需品の店舗は緊急事態宣言の対象外となる可能性が大きい。コロナで死に続ける街でも店を開けろ、店に立て、売れと言われるのでは?
「その時は私も考えます。妻を残して死にたくないし、会社と心中したくない。客が俺たち家族に何してくれるんだ。日本は好きですけど、この仕事してると日本人のことは大嫌いになりますよ、何が礼儀正しい品行方正な民族だ、そんなネトウヨに店員やらせてみたいですね。俺たちの代わりに店舗に立たせたいですね、お国のために」
そんな近藤さんは右も左も既存政党は大嫌い。特定思想があるわけではないが、れいわ新選組を支持しているという。
「氷河期世代ですから、当時の政党とかその残党は与党も野党も大嫌いですよ。そんなの支持してる同世代なんてアホでしょ。受験地獄に落とされて、就職でひどい目に合って、その後もずっと不満だったけど、挙句の果てにコロナでマスク2枚、本当うんざりだ」
現状では不明瞭だが、近藤さんは国の現金給付の対象外になりそうなことにも怒っている。確かに、サラリーマンは即減収になるわけではないから難しいだろう。まだ不確定だが、そもそもほとんどの人が貰えないハードルを設定してくるかもしれない。
「一律配ればいい話を、まだそんなこと言って払い渋る。で、1世帯マスク2枚でしょ? 竹槍だって1人1本だったのに。この国ヤバいですよ」
大学は史学科だったので近現代に詳しい近藤さんのたとえは面白い。政権批判も止まらないが、私はもっともだとうなずくばかりだった。実際、天災だけに端緒は仕方がなくとも、人災にしてしまったのは現政権であることには違いない。
「それなのにまだ小売だ底辺だってバカにされる。リアルでもネットでも、俺だって妻や母親のために働く人間なのに。国も客も、本音のところ、俺たちなんてどうでもいいんでしょうね」
近藤さんが笑った。が、もちろん目は笑っていない。彼はいたって普通のサラリーマンだし、本来は温和な人だ。しかしこうした生きるか死ぬかの生存競争が現実に起こった時、その格差は現前する。戦争が最たるものだ。そしてこのコロナは私たちが初めて経験する「戦争」だ。それも敵や終戦も見えない戦争である。14世紀のペストは約100年、当時、生まれて死ぬまでペストの地獄しか知らなかったという人もいただろう。私たちはその入口にいるかもしれない。