3月末、デマで殺到した買いだめ目的の客により商品棚が空になった(時事通信フォト)
近藤さんは一浪して都内の中堅私大に入学。卒業後、派遣会社の営業や携帯電話ショップなど転職を繰り返し、30代の時に現在の会社であるスーパーマーケットチェーンに入社した。そこで出会った女性と結婚もして、都内に小さいながらも中古でマンションも買った。
「まあ若い頃に思い描いたような華やかな人生じゃなかったけど、幸せですよ。子供がいなくったって妻との仲はいい」
私と同じ、いわゆる友達夫婦の近藤さん。スーパーの給料は小売かつ中途採用なだけに安いが大手企業なので福利厚生は手厚く、世間で言われるほどのブラックでもなく安心して働けたそうだ。店舗とはいえ流通の最前線で各メーカーや運送会社、様々な人々との仕事は楽しく充実していたという。世界がコロナに襲われるまでは。
「マスクは早々に品切れが続きましたけど、スーパーではそんなに重要じゃないし以前から花粉の時期は品不足になりますからね。武漢の封鎖あたりかな、全然入って来なくなった。それでもお客さんは冷静でしたよ、のんびりしたものです」
しかし2月になり集団感染が発生していた大型豪華客船のダイヤモンドプリンセス号が入港、日本人の死者も出ると、マスクだけでは済まない騒ぎ、いや歴史的な災禍となってしまった。
「トイレットペーパーが一気に消えましたね。入れても入れても売れてしまう。トイレットペーパーがあんなに売れたことなんてなかったです。元々大きくてかさばりますから、そんなに店舗在庫は無いです。すぐ空になる」が、やがて朝の開店前から客が並ぶようになった。「まだのんきなもんでしたね、並んでる老人とあれこれ雑談したり。マスクはもう入荷しませんでしたが、トイレットペーパーは国内生産ですから物流倉庫にはありますし」
だが3月に入ると、毎日がカオスとなった。