聖子がデビューした1980年は、田原俊彦、河合奈保子、岩崎良美、そして松村和子も並んだことで「黄金の80年組」と呼ばれた。特に聖子と良美は同い年、同じ堀越学園で机を並べ、親友の間柄であった。
「アイドル誌の撮影で私たちにショートケーキが出されたんです。ところが法子(聖子の本名)は半分も食べない。その理由を聞くと『良美ね、これ全部食べたら後悔すると思うの』って」
その言葉に良美は徹底したプロ意識を感じた。この年の新人は仲が良く、誰が最優秀新人賞に輝いても全員が祝福したという。良美は、その後の聖子を「ずっと皆をドキドキさせる“松田聖子”というブランド」と評する。
聖子と誕生日が13日違いの松村和子は、楽屋ではイメージと違ってキャピキャピしたところがなく、自分を客観視できる女性という印象を持った。
「私は聖子ちゃんに1年遅れて1981年に紅白に初出場。そこの楽屋ではお互いファンの立場に戻り、私が『やっぱりカッコいいな、ゴロー(野口五郎)は』と言うと、聖子ちゃんが『うちのヒロミ(郷ひろみ)のほうがカッコいいわよ』って、無邪気に盛り上がっていましたね」
いかにも聖子らしかった。
【プロフィール】いしだ・しんや/1961年、熊本県生まれ。「週刊アサヒ芸能」を中心に芸能ノンフィクションを執筆。主な著書に『ちあきなおみに会いたい。』(徳間文庫)、『甲斐バンド40周年 嵐の季節』(ぴあ)などがあり、最新刊『1980年の松田聖子』(徳間書店)が発売中。
※週刊ポスト2020年4月24日号