まだ正式なデビューは決まらなかったものの、聖子は父親を説得して高3の夏に上京。サンミュージックプロダクションに籍を置くが、同社とCBS・ソニー(当時)は、大型新人として中山圭子(現・圭以子)を売り出す予定でいた。中山を獲得するにあたり、サンミュージックはこんな覚書を親と交わした。
「向こう1年間は(他の)新人をデビューさせない」
こうした大人たちの思惑をよそに、聖子と圭子は仲の良い日々を過ごした。
「初めて会ったのは私が中3、聖子さんが高3の時です。同じサンミュージックに所属して、同じ指導者のもとでダンスレッスンを受けていました」
レッスンの終わりには圭子がピアノを弾き、それに合わせて聖子が歌うことも多かった。完成した圭子のデビュー曲に「いい曲ね、涙が出ちゃった」と聖子は素直に祝福したという。圭子のデビュー曲は輸入シャンプーのCMソングとして世に大々的に流れるはずだったが、日本では禁止成分が入っていたため発売そのものが中止に。
そしてサンミュージックでもソニーでも急速に評価が高まっていた聖子が4月にデビューすることとなる。あれほど破格の扱いだった圭子に、サンミュージックは冷たい宣告をした。
「キミへの宣伝費は聖子に回すから」
結局、圭子は1年半で一度引退するが、それでも、同世代の一番星としての聖子を見守り続けた。