河合奈保子一覧

【河合奈保子】に関するニュースを集めたページです。

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昭和女性ポップス座談会・前編 半田健人が選んだ「先駆者的」名曲
 近年、海外の音楽ファンから注目されているのが、1970~1980年代に日本の音楽シーンを席巻した「シティポップ」だ。中でも、竹内まりや『PLASTIC LOVE』(1984年)や松原みき『真夜中のドア~stay with me』(1979年)といった女性アーティストによる楽曲の人気が高い。 そこで、昭和ポップスをこよなく愛する、俳優・歌手の半田健人さん、昭和歌謡ライターの田中稲さん、ウェブサイト『昭和ポップスの世界』を運営するさにーさんに、「昭和女性ポップス・マイベスト10」をセレクトしてもらった。そのランキングを受けての座談会を開催。まずはそれぞれの6位から10位を紹介する。■半田健人さんの「昭和女性ポップス」マイベスト101位:伊東ゆかり『グリーン・ジンジャー・フライング』(作詞:ジェリー伊藤、作曲・編曲:東海林修/1971年)2位:弘田三枝子『マイ・メモリィ』(作詞・作曲:弘田三枝子、編曲:鈴木宏昌/1977年)3位:いしだあゆみ『バイ・バイ・ジェット』(作詞:橋本淳、作曲:細野晴臣、編曲:萩田光雄、細野晴臣/1977年)4位:和田アキ子『私夢を見るの』(作詞・作曲:石津善之、編曲:馬飼野俊一/1973年)5位:あべ静江『長距離電話』(作詞:藤公之介、作曲:佐藤健、編曲:林哲司/1977年)6位:小川知子『別れてよかった』(作詞 : なかにし礼、作曲・編曲 : 川口真/1972年)6位:由紀さおり『ヴァリーエ』(作詞:山上路夫、作曲:S・リタルド、編曲:渋谷毅/1971年)6位:麻生よう子『逃避行』(作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:馬飼野俊一/1974年)6位:岡崎友紀『グッドラック・アンド・グッドバイ』(作詞・作曲:荒井由実、編曲:萩田光雄/1976年)6位:桑江知子『Mr.Cool』(作詞:佐藤奈々子、作曲・編曲:小林泉美/1980年)【プロフィール】半田健人さん/俳優・歌手。1984(昭和59)年生まれ。『仮面ライダー555』(テレビ朝日系)で初主演。2014年に『せんちめんたる』をCD&LP同時発売。2017年全曲自宅録音『HOMEMADE』リリース。作曲家、タレントとして活動。ラジオ『林哲司・半田健人 昭和音楽堂』(SBS静岡放送、日曜21時~21時30分)に出演中。■田中稲さんの「昭和女性ポップス」マイベスト101位:岡田奈々『青春の坂道』(作詞原案:中司愛子、作詞:松本隆、作曲:森田公一、編曲:瀬尾一三/1976年)2位:和田アキ子『古い日記』(作詞:安井かずみ、作曲・編曲:馬飼野康二/1974年)3位:五輪真弓『恋人よ』(作詞・作曲:五輪真弓、編曲:船山基紀/1980年)4位:谷山浩子『まっくら森の歌』(作詞・作曲:谷山浩子、編曲:乾裕樹/1985年 NHK『みんなのうた』初出)5位:大貫妙子『黒のクレール』(作詞・作曲:大貫妙子、編曲:坂本龍一/1981年)6位:泰葉『フライディ・チャイナタウン』(作詞:荒木とよひさ、作曲:海老名泰葉、編曲:井上鑑/1981年)7位:山口百恵『絶体絶命』(作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:萩田光雄/1978年)8位:大場久美子『エトセトラ』(作詞:小林和子、作曲・編曲:萩田光雄/1978年)9位:中島みゆき『ファイト!』(作詞・作曲:中島みゆき、編曲:井上堯之/1983年)10位:高田みづえ『硝子坂』(作詞:島武実、作曲:宇崎竜童、編曲:馬飼野康二/1977年)【プロフィール】田中稲さん/昭和歌謡ライター。1969(昭和44)年生まれ。大阪を拠点に活動する昭和歌謡ライター。ほかにも、ドラマ、NHK紅白歌合戦、懐かしブームなども得意テーマとしている。著書に『昭和歌謡 出る単 1008語』(誠文堂新光社)など。CREA WEBにて『田中稲の勝手に再ブーム』、DANROにて『いつも心にぼっち曲』を連載中。■さにーさんの「昭和女性ポップス」マイベスト101位:和田アキ子『あの鐘を鳴らすのはあなた』(作詞:阿久悠、作曲・編曲:森田公一/1972年)2位:岩崎宏美『思秋期』(作詞:阿久悠、作曲・編曲:三木たかし/1977年)3位:ペドロ&カプリシャス『ジョニィへの伝言』(作詞:阿久悠、作曲・編曲:都倉俊一/1973年)4位:ちあきなおみ『夜へ急ぐ人』(作詞・作曲:友川かずき、編曲:宮川泰/1977年)5位:しばたはつみ『マイ・ラグジュアリー・ナイト』(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:林哲司/1977年)6位:渡辺真知子『かもめが翔んだ日』(作詞:伊藤アキラ、作曲:渡辺真知子、編曲:船山基紀/1978年)7位:大橋純子『サファリ・ナイト』(作詞:竜真知子、作曲・編曲:佐藤健/1978年)8位:原田知世『天国にいちばん近い島』(作詞:康珍化、作曲:林哲司、編曲: 萩田光雄/1984年)9位:河合奈保子『ラブレター』(作詞:竜真知子、作曲:馬飼野康二、編曲:若草恵/1981年)10位:能瀬慶子『アテンション・プリーズ』(作詞:喜多條忠、作曲:浜田省吾、編曲:船山基紀/1979年)【プロフィール】さにーさん/1992(平成4)年生まれ。1970〜1980年代のヒット曲の情報サイト『あなたの知らない昭和ポップスの世界』を運営。昭和ポップスの魅力を伝えるため、ラジオやテレビにも出演。『らじるラボ』(NHKラジオ第1)で、『さにーのZOKKON!昭和ポップス』(毎月第2・第4金曜午前10時半~11時)を担当。──今回は赤い鳥『翼をください』が発売された「1971年以降の昭和女性ポップス」を条件に各自、ベスト10を選んでいただきました。まずはそこから……。半田:その前に、ぼくに1970年に発売された作詞家・安井かずみさんの『ZUZU』というLPをぜひ紹介させてください! これが、ハイパーアルバムなんですよ、ぼくの中で。おふたりは聴いたことはありますか?田中:いいえ。ただ、安井かずみさんは好きなのですごく興味あります!半田:このLP、安井さん自身が作詞と歌唱を、作曲や編曲は、かまやつひろしさん、沢田研二さん、日野皓正さんなど、安井さんの友達12人が手掛けたものです。1曲目からボサノバ調で力が抜けていてしゃれた歌。はっきり言って、このLPは“ユーミンよりも早いユーミン”。これこそシティポップ、日本のポップスの礎というべき隠れた名盤だと思うのです。──1970年にこんな隠れた名盤があったんですね。半田:隠れた名盤といえば、あべ静江さんの『TARGET』(1976年)や、いしだあゆみさんの『アワー・コネクション』(1977年)は、歌謡畑の人がポップスに挑戦したLPです。──昭和女性ポップスの世界は、シティポップ以外にもいろいろあって深いですね。早速、6~10位を見ていきましょう。半田:実は、今回はほかの人とかぶらぬよう「スタート地点は歌謡曲ながら、時代によってポップスにチャレンジした先駆者」という視点で選びました。そのため、6~10位の5曲は同率6位です。 まず、小川知子さんの『別れてよかった』(1972年)は、サウンド的にA&M音楽(※1)を志向した曲です。作曲・編曲の川口真さんは、ヨーロッパ系の要素を歌謡曲に取り入れた先駆者で、ウイスパー系で囁くように歌わせています。ジャンルレスと評価される金井克子さんの『他人の関係』(1973年)の下敷きになったのでは?と、ぼくは勝手に推察しています。【※1/A&Mレコード」は、アメリカのトランペット奏者で音楽プロデューサー 、ハーブ・アルパートらが設立したレコードレーベル。深夜ラジオ『オールナイトニッポン』のオープニング曲のような、アメリカ音楽とメキシコ音楽を合わせたような曲調が特徴】 由紀さおりさんの『ヴァリーエ』(1971年)では、すごくかわいらしい声が印象的。歌謡曲とは違う発声法をする点がさすがです。最近では斉藤和義さんの『歌うたいのバラッド』(1997年)もカバーしているほど、由紀さんはジャンルレスです。 麻生よう子さんの『逃避行』(1974年)は作曲の都倉俊一さんの存在が大きい。和製カーペンターズというか……カーペンターズの『Close to you(遥かなる影)』(1970年)をどこか彷彿させます。 桑江知子さんは好きな歌手の1人で、特に『Mr.Cool』(1980年)は本当にメロウ。いまのシティポップファンにも受け入れられるクオリティーです。 岡崎友紀さんの『グッドラック・アンド・グッドバイ』(1976年)は、言わずと知れたユーミン提供のオリジナル曲。彼女の手にかかるとすべてがポップスになる。ユーミンの天性の音楽性も大きいですね。田中:私の10位、高田みづえさんの『硝子坂』(1977年)は、よく行くバーの外国人客に大人気で、ジュークボックスでかかると、最高に盛り上がるそうで、とても興味深くて。半田:何が外国人ウケするか、わからないからね。田中:9位は中島みゆきさんの『ファイト!』(1983年)。この歌を聴いて号泣した人を近くで見たことがあって、そのとき、歌の力を見せつけられたのが選んだ理由です。半田:暗い歌い始めからの盛り上がりがすごい。ただ、ポップスの印象からはいちばん遠いかもしれませんね。──中島みゆきさんは、1975年に『時代』で「ポプコン」(※2)から出てきたので、ポップスと捉えていいと思います。半田:そうか、ポピュラーソングコンテスト出身ですね。【※2/「ポプコン」とは、『ヤマハポピュラーソングコンテスト』のことで、1969年から1986年まで行われた、ヤマハ音楽振興会主催のポピュラー音楽の作品コンテスト】田中:8位が大場久美子さんの『エトセトラ』(1978年)。歌唱力はともかく声がかわいい! 「出る音程を使って、素材の素晴らしさをおいしく料理しましょ!」と、プロの作家たちが全力を出したらこうなるという曲。タイトルも、ちょっと舌っ足らずな感じがアイドルとの相性抜群ですね。半田:マニアな視点ですね。田中:7位が山口百恵ちゃんの『絶体絶命』(1978年)。“歌ってドラマなんだな~”と思った曲。最初、女性のけんかから始まり、男性が来て、最後は主役が負ける(笑い)。さにー:その3人のドラマを2分50秒しかない中で作れるのがすごいです。田中:長男の三浦祐太朗さんに、男性を奪い取った方の女性のスピンオフ曲を歌ってほしいですね。 6位の泰葉さんの『フライディ・チャイナタウン』(1981年)は、出だしのインパクトだけで絶対売れると思った名曲です。半田:すごくいいイントロとアレンジで、井上鑑さんは、この年『ルビーの指環』も手がけていて、編曲者として脂が乗り切っていた時期ですね。さにー:では、私の10位は、能瀬慶子さんの『アテンション・プリーズ』(1979年)。これは編曲がすごい。後ろで細かい音がたくさん鳴っていて、キラキラしているところが好きなんです。半田:編曲家の中でも船山基紀さんは、物足りない歌に化粧させたら業界ナンバー1!田中:今回知ったんですが、作曲が“浜省”なんですか?半田:そう。浜田省吾さんって、自分が売れる前に楽曲提供が多かったですからね。さにー:“アイドル最高峰曲”を入れたくて思いついたのが、9位の河合奈保子さんの『ラブレター』(1981年)です。曲調も歌詞も、どストレートにアイドルソング。これを歌のうまい奈保子さんが歌うと完成され、無敵のアイドルポップスになる。 次の8位が、原田知世さんの『天国にいちばん近い島』(1984年)。これはカラオケで歌うと、サビで涙があふれる。好きな理由がいちばん説明しにくい曲です。半田:ぼくも似た経験をしたことがあります。サビにきた途端、グッとくるんだよね~。この曲はAメロがメジャーキーなんだけど、サビで転調してマイナーになる。さにー:なるほど。7位は大橋純子さんの『サファリ・ナイト』(1978年)。大橋さんはどうしても入れたくて、曲で悩みました。都会に生きる男女の悲哀を歌った中でも、この曲は、最先端の都会をサファリとしたところがものすごいなと思って。そして、6位が渡辺真知子さんの『かもめが翔んだ日』(1978年)。田中:いいよね、この曲。さにー:この曲って、真知子さんじゃなければ成立しないかなと思って選びました。天性の明るい真知子さんの声に、潮風を感じ、海を感じるんですよね。なぜか。田中:そう。まさに真知子さんならでは、ですよね。取材・文/北武司 撮影/浅野剛※女性セブン2021年5月20・28日号
2021.05.10 16:00
女性セブン
河合奈保子の笑顔と美声をもう一度(TBS DVD『河合奈保子 NAOKO ETERNAL SONGS』より)
デビュー40周年の河合奈保子 伝説アイドルのお宝作品発売
 松田聖子、岩崎良美、柏原芳恵らと同じ1980年にデビューし、アイドル歌手としてヒット曲を連発した河合奈保子。政界きってのアイドル通である石破茂・元防衛相が「全曲歌える」と胸を張る“生きる伝説”だ。そんな彼女のデビュー40周年を記念したDVD-BOXが発売される。 TBSの番組出演時の歌唱映像を集めたこの作品は、『ザ・ベストテン』や『8時だョ! 全員集合』などで『スマイル・フォー・ミー』『けんかをやめて』などの名曲を熱唱する河合の姿を収録している。 愛くるしいルックスに注目が集まりがちだが、河合の真骨頂はなんといってもその歌唱力にある。記念碑的な映像作品の登場で、河合の伝説はさらに加速するだろう。TBS DVD『河合奈保子 NAOKO ETERNAL SONGS』(ジャケット写真付き)DVD4枚組  2万円(税別)12月23日発売DISC1 Naoko in ザ・ベストテンI/DISC2 Naoko in ザ・ベストテンII/DISC3 Naoko in 8時だョ!全員集合/DISC4 Naoko on TV発売元:TBS 販売元:日本コロムビア※週刊ポスト2021年1月1・8日号
2021.01.02 11:00
週刊ポスト
最強の昭和ポップスは? アン・ルイス『ラ・セゾン』の凄さ
最強の昭和ポップスは? アン・ルイス『ラ・セゾン』の凄さ
 昭和ポップスが盛り上がった1957〜1988(昭和32〜63)年に発売されたシングルレコードの新譜数は、約12万。そのB面やアルバムの収録曲も含めると、かなりの数の曲が登場し、私たちを楽しませてくれたことになる。 ジャンルは、演歌、ムード歌謡、グループサウンズ、アイドル歌謡、フォークソング、ニューミュージックなどさまざまだが、その膨大な作品群から、昭和ポップスに詳しい俳優・歌手の半田健人さん、昭和歌謡ライターの田中稲さん、Webデザイナー&サイト運営するさにーさんの3人が、それぞれ“最強の楽曲”候補として事前に10曲を選出した。まずは3人のランキングから。【半田健人さんのMY BEST10】第1位 バス・ストップ /平浩二(1972年)第2位 みずいろの手紙 /あべ静江(1973年)第3位 また逢う日まで/尾崎紀世彦(1971年)第4位 ひとりじゃないの/天地真理(1972年) 第5位 私はピアノ/高田みづえ(1980年)第6位 あなたの心に/中山千夏(1969年)第7位 君が美しすぎて/野口五郎(1973年)第8位 ふりむかないで/ハニーナイツ(1970年発表、レコード発売1972年)第9位 お座敷ロック/五月みどり(1958年)第10位 ルビーの指環/寺尾聰(1981年)【田中稲さんのMY BEST10】第1位 TVの国からキラキラ/松本伊代(1982年)第2位 青葉城恋唄/さとう宗幸(1978年)第3位 ギャランドゥ/西城秀樹(1983年)第4位 お嫁サンバ/郷ひろみ(1981年)第5位 熱き心に/小林旭(1985年)第6位 少女人形/伊藤つかさ(1981年)第7位 ラ・セゾン/アン・ルイス(1982年)第8位 疑問符/河合奈保子(1983年)第9位 色つきの女でいてくれよ/ザ・タイガース(1982年)第10位 前略、道の上より/一世風靡セピア(1984年)【さにーさんのMY BEST10】第1位 YOUNG MAN/西城秀樹(1979年)第2位 時代おくれ/河島英五(1986年)第3位 あんたのバラード/世良公則&ツイスト(1977年)第4位 S・O・S/ピンク・レディー(1976年)第5位 勝手にしやがれ/沢田研二(1977年)第6位 ハッとして!Good/田原俊彦(1980年)第7位 SEPTEMBER/竹内まりや(1979年)第8位 初恋/村下孝蔵(1983年)第9位 飾りじゃないのよ涙は/中森明菜(1984年)第10位 SWEET MEMORIES/松田聖子(1983年) 果たして最強の一曲は決まるのか。鼎談は昭和ポップスにハマった理由から始まった。 * * *半田:ぼくは俳優でデビューしたのですが、実は作曲家になりたかったんです。それで、その教材として、10代の頃から昭和歌謡を聴き始めたのがきっかけです。当初は作詞・作曲・編曲をしたのが誰かを確認し、ヘッドホンでオケ(演奏)中心の聴き方でしたね。田中:私の場合は、テレビで歌番組が充実していた時代に育ったので、自然に昭和歌謡は刷り込まれている感じです。最初の記憶が、テレビで天地真理さんが歌う姿を見ている姉の後頭部でした(笑い)。さにー:私は21才のとき失恋をしたのですが、そのときに心を癒す曲をユーチューブで探したら中森明菜さんの『十戒』(1984年)を見つけて、その視線と歌詞にハマりました。以来、集めたレコードが約300枚。プレーヤーも持っています。井上陽水さんが本物の明菜さんを引き出した──では、それぞれあげていただいた曲のうち、まずは7〜10位について、半田さんから順に、おすすめの理由をお願いします。半田:10曲選ぶのにかなり苦労しました。最初、感性で好きな歌を選んだら、古い曲ばかりになりすぎてしまって(笑い)。田中:私も大好きな曲からベスト10を選ぶのに、迷いに迷って吐きそうになりましたよ。半田:10位の『ルビーの指環』は、大ヒット曲でご存じのかたも多いですが、この曲が収められているアルバムの『Reflections』は、日本の邦楽アルバム史上ベスト10に入る名盤です。9位の『お座敷ロック』は1958年発売なのにイントロで三味線が4ビートにのっかって、和なのに新しい。いま、バンドをしている人たちも聴くべき再評価楽曲です。 7位の『君が美しすぎて』は、芸能界イチ“野口五郎になりたい男”を自認するぼくが、外すわけにはいかない五郎さんの曲を、敬愛する作曲家・馬飼野俊一さんのナンバーで選んだもの。8位のハニー・ナイツの『ふりむかないで』は、シャンプーのCM曲ですが、リピートする単純なメロディーなのに、心にグッとくる心地よさがあります。田中:私が9位に入れたザ・タイガースの『色つきの女でいてくれよ』も、化粧品のCMのイメージソングです。“色つきの女”って表現がかっこよくて阿久悠さんの作詞でいちばん好きな曲かも。逆になりましたが、10位の一世風靡セピア『前略、道の上より』は、男の美学を感じさせるかっこよさでセレクト。 8位には歌い手を女優にする来生えつこ・たかおコンビの作品から、私の大好きな河合奈保子さんの『疑問符』を選んでみました。7位のアン・ルイスさんの『ラ・セゾン』は、作詞が三浦百恵さんで、作曲が沢田研二さん。いま聴いても本当にかっこいい!半田:クレジットだけで、ザ・芸能界って豪華さですね(笑い)。さにー:私が10位に選んだ松田聖子さんの『SWEET MEMORIES』もCMで使われた曲です。冒頭の“なつかしい痛みだわ”を聴いただけで、久しぶりに昔の彼と会ったんだなと状況がわかって、すごい歌詞だと思いました。半田:そうだよね。この曲は『赤いスイートピー』(1982年)と人気を二分する曲だけど、にわか覚えで歌うと、2番が英語で焦る(笑い)。さにー:たしかに(笑い)。9位は中森明菜さんの『飾りじゃないのよ涙は』です。半田:あれ?『十戒』じゃないの?さにー:私が昭和ポップスに目覚めたきっかけは『十戒』ですが、楽曲として好きなのはこっちなんです。というのも、曲を井上陽水さんが提供していて、それまで虚勢を張りたいツッパリと、女性的な弱さを見せるバラードを行き来してきた明菜さんの魅力が、この曲で初めて融合して、本物の明菜さんを引き出したと感じるからです。半田:なるほど〜。さにー:8位の村下孝蔵さんの『初恋』は、放課後に、校庭にいる初恋の人を見ていた過去が私にもあって、ギャップを感じずに情景が浮かびます。よく、好きな歌手のいちばん有名な曲は、ファンから人気じゃない現象ってありますが、この歌はやっぱり私、大好きなんです。 7位は『SEPTEMBER』。竹内まりやさんって最近、シティーポップの女王といわれることが多いですよね。私はシティーポップって、歌詞がおざなりになっている気がしてあまり聴かないのですが……。半田:サウンド志向だからね。さにー:はい。ただ、この曲は、松本隆さんが作詞、林哲司さんが作曲で、“からし色のシャツ”など、インスタ映えする情景をイメージさせる。竹内さん自身もすごく大事に歌っている気がして、歌詞がすごく入ってくるんです。半田:以前、歌謡曲とそれ以外の違いを聞かれて、違いは曲調じゃなく、職業作家が作って歌手が歌うのが歌謡曲と答えたことがあるんだけど。この曲はまさにそれ! 職業作家は、音楽ビジネスの土壌を豊かにする専門家なので、各社から依頼された以上はプロとして、アンテナの感度を上げる必要があったと思うけど、この曲は、彼らの感性と竹内まりやさんの歌声がバッチリマッチしている、成功例だと思いますね。田中:作詞家・作曲家がいて歌手が歌うという前提があると、歌手の個性を見て、いろんなパターンやテンションの曲を練って世の中に出すことができる。自分で作って自分で歌うと自分の世界なので、そこら辺が違うんでしょうね。さにー:プロデュースも曲作りも歌うのも1人ってなると、その人の世界観から外に出ないので、やっぱり人と人との化学反応の上に、曲が成り立つという奥行きのあるスタイルに魅力を感じてしまいます。半田:でも、ぼくらがそう思う一方で、逆にシンガーソングライターの曲の方が共感できるという層も、同じくらいいるかもね(笑い)。【プロフィール】半田健人/1984(昭和59)年生まれ。『仮面ライダー555』で初主演。2014年に自身初のオリジナル・フルアルバム『せんちめんたる』をCD&LP同時発売。2017年に全曲自宅録音のアルバム『HOMEMADE』をリリース。現在は作曲家やタレントとしても活動している。田中稲/1969(昭和44)年生まれ。大阪を拠点にライターとして活動中。昭和歌謡、ドラマ、懐かしブームなどを中心に執筆。著書に『昭和歌謡 出る単 1008語』(誠文堂新光社)など。CREA WEBにて『田中稲の勝手に再ブーム』を連載中。さにー/1992(平成4)年生まれ。Webデザイナーの傍ら、1970〜1980年代のヒット曲の総合情報サイト『あなたの知らない昭和ポップスの世界』を運営。昭和ポップスの魅力を伝えるため、ラジオやテレビなどにも出演。※女性セブン2020年10月22日号
2020.10.12 07:00
女性セブン
聖子と明菜の1980年代頂上対決 作詞家が見た高次元バトル
聖子と明菜の1980年代頂上対決 作詞家が見た高次元バトル
 この4月でデビュー40周年を迎えた松田聖子(58)。昨年の紅白歌合戦でもメドレーを披露し、いまだトップクラスの存在として音楽シーンに君臨する彼女だが、1980年代に激しいライバル争いを繰り広げたのが中森明菜(54)だ。聖子と明菜は何が違ったのか? 今春、『1980年の松田聖子』(徳間書店)を上梓した芸能ノンフィクションライター・石田伸也氏が、歌詞を通じてライバル対決を読み解く。 * * * 80年代のアイドルシーンは、松田聖子と中森明菜による頂上対決が続いた。明菜のデビュー曲『スローモーション』(1982年)は最高位30位に終わり、2作目の巻き返しが必要だった。起用されたのはコピーライターから1年前に転身した作詞家・売野雅勇である。「参考にしたのは阿木燿子さんの一連の作品。例えば『プレイバックPart2』の“バカにしないでよ”のように、捨てゼリフが生きるんだと思った」「私は私よ関係ないわ」と叫ぶ『少女A』(1982年)である。明菜は自分のイニシャルと同じであることに激しく抵抗したが、ディレクターは明菜を強引にマイクの前に立たせ、ほぼ一発でレコーディングを完了させた。そして明菜にとっても、売野にとっても初めての大ヒットとなった。「明菜自身はバラードが好きだけど、本人が好きなものと、お客さんが求めているものは違うというのが『少女A』でわかったはず」 売野の感想である。実際、明菜は『少女A』が嫌いと公言しながら、セットリストから外すことはなかった。売野はさらに『1/2の神話』(1983年)、『禁区』(1983年)、『十戒(1984)』(1984年)で初期の明菜イメージを作った。河合奈保子や、チェッカーズ、荻野目洋子、堀ちえみなども手掛け、80年代のアイドル歌謡シーンに君臨する。そんな売野にとって明菜は、もっとも描きやすい歌手だった。「それは松田聖子という圧倒的な存在がいたから。彼女に対する対立概念として明菜に詞を書けば良かった」 売野の知るところでは、当時のアイドル歌手はほとんど聖子ファンばかりだった。明菜と同じく「82年組」と呼ばれた小泉今日子、石川秀美、早見優、松本伊代は、そろって聖子ちゃんカットでデビューしている。そんな〝絶対アイドル〟の座は、作詞家・松本隆による功績と売野は思った。「ダイヤモンドみたいに、深い部分まで文句のつけようのない詞の世界。理想像としての女の子のかわいらしさを与えていた」 松田聖子の中にある「少女性」をうまく拡大して詞を描く。ならば明菜には「不良性」を与えたのが『少女A』である。売野にとって衝撃だった聖子ソングスは何か? そんな質問に、まず『赤いスイートピー』(1982年)、そして『風立ちぬ』(1981年)だったと答える。「アイドルなのに『タバコの匂いのシャツ』と生々しいフレーズを使い、しかし、それは大人への憧れとしてファンタジーに昇華させた珍しい例。また『風立ちぬ』は、詞とメロディーのマッチングが絶妙だった」 聖子と明菜だけでなく、クリエイターたちも高次元のバトルを展開したのだ。【プロフィール】いしだ・しんや/1961年、熊本県生まれ。「週刊アサヒ芸能」を中心に芸能ノンフィクションを執筆。主な著書に『ちあきなおみに会いたい。』(徳間文庫)、『甲斐バンド40周年 嵐の季節』(ぴあ)などがあり、最新刊『1980年の松田聖子』(徳間書店)が発売中。※週刊ポスト2020年4月24日号
2020.04.19 16:00
週刊ポスト
平尾昌晃氏、岩崎良美らが見た「松田聖子、誕生の瞬間」
平尾昌晃氏、岩崎良美らが見た「松田聖子、誕生の瞬間」
 この4月でデビュー40周年を迎えた松田聖子(58)は、いかに“成功への扉”を開いていったのか──。今春、『1980年の松田聖子』(徳間書店)を上梓した芸能ノンフィクションライター・石田伸也氏が、“松田聖子誕生”の瞬間を振り返る。 * * * 1980年4月1日、松田聖子のデビュー曲『裸足の季節』は、日本のアイドル史を変える革命となった。以来、今なおトップに君臨し、昨年の大みそかも『NHK紅白歌合戦』でヒットメドレーを披露している。 作曲家の故・平尾昌晃は、聖子がまだ本名の「蒲池法子」だった1978年に出会った。主宰する音楽学院の福岡校に、聖子は久留米からレッスンを受けに来ていた。「トロフィーを持って帰ったら、生まれて初めて父に引っぱたかれたんですよ」 それが初対面の聖子の言葉だった。1978年に開催された「ミス・セブンティーンコンテスト」で、聖子は九州大会のグランプリに輝く。次は全国大会となるはずが、厳格な父に反対されて断念する。それでも、聖子の信念は揺るがなかったと平尾は記憶する。「先生、私は歌手になって必ず成功するから!」 歌手になることを「夢見る」子は多いが、その先に自分の成功を「イメージ」できている子は珍しいと平尾は感心していた。 まだ正式なデビューは決まらなかったものの、聖子は父親を説得して高3の夏に上京。サンミュージックプロダクションに籍を置くが、同社とCBS・ソニー(当時)は、大型新人として中山圭子(現・圭以子)を売り出す予定でいた。中山を獲得するにあたり、サンミュージックはこんな覚書を親と交わした。「向こう1年間は(他の)新人をデビューさせない」 こうした大人たちの思惑をよそに、聖子と圭子は仲の良い日々を過ごした。「初めて会ったのは私が中3、聖子さんが高3の時です。同じサンミュージックに所属して、同じ指導者のもとでダンスレッスンを受けていました」 レッスンの終わりには圭子がピアノを弾き、それに合わせて聖子が歌うことも多かった。完成した圭子のデビュー曲に「いい曲ね、涙が出ちゃった」と聖子は素直に祝福したという。圭子のデビュー曲は輸入シャンプーのCMソングとして世に大々的に流れるはずだったが、日本では禁止成分が入っていたため発売そのものが中止に。 そしてサンミュージックでもソニーでも急速に評価が高まっていた聖子が4月にデビューすることとなる。あれほど破格の扱いだった圭子に、サンミュージックは冷たい宣告をした。「キミへの宣伝費は聖子に回すから」 結局、圭子は1年半で一度引退するが、それでも、同世代の一番星としての聖子を見守り続けた。 聖子がデビューした1980年は、田原俊彦、河合奈保子、岩崎良美、そして松村和子も並んだことで「黄金の80年組」と呼ばれた。特に聖子と良美は同い年、同じ堀越学園で机を並べ、親友の間柄であった。「アイドル誌の撮影で私たちにショートケーキが出されたんです。ところが法子(聖子の本名)は半分も食べない。その理由を聞くと『良美ね、これ全部食べたら後悔すると思うの』って」 その言葉に良美は徹底したプロ意識を感じた。この年の新人は仲が良く、誰が最優秀新人賞に輝いても全員が祝福したという。良美は、その後の聖子を「ずっと皆をドキドキさせる“松田聖子”というブランド」と評する。 聖子と誕生日が13日違いの松村和子は、楽屋ではイメージと違ってキャピキャピしたところがなく、自分を客観視できる女性という印象を持った。「私は聖子ちゃんに1年遅れて1981年に紅白に初出場。そこの楽屋ではお互いファンの立場に戻り、私が『やっぱりカッコいいな、ゴロー(野口五郎)は』と言うと、聖子ちゃんが『うちのヒロミ(郷ひろみ)のほうがカッコいいわよ』って、無邪気に盛り上がっていましたね」 いかにも聖子らしかった。【プロフィール】いしだ・しんや/1961年、熊本県生まれ。「週刊アサヒ芸能」を中心に芸能ノンフィクションを執筆。主な著書に『ちあきなおみに会いたい。』(徳間文庫)、『甲斐バンド40周年 嵐の季節』(ぴあ)などがあり、最新刊『1980年の松田聖子』(徳間書店)が発売中。※週刊ポスト2020年4月24日号
2020.04.14 16:00
週刊ポスト
新曲『好きになってしまいそうだよ』の発売記念ミニライブに登場した田原俊彦
ジャニーズのレコ大快進撃の源流、『ハッとして!Good』秘話
 今年の『輝く!日本レコード大賞』(TBS系、12月30日放送)では『特別音楽文化賞』が新設され、ジャニーズ事務所の創業者であるジャニー喜多川氏(享年87)が受賞。生前の功績が称えられた。 ジャニーズ事務所は、1980年に田原俊彦の『ハッとして!Good』で初めて最優秀新人賞を受賞。翌年以降も近藤真彦、シブがき隊、THE GOOD Byeと続き、4年連続で栄冠を手にした。 ジャニーズ繁栄のきっかけとなった1980年の『ハッとして!Good』はどのように誕生したのか。芸能研究家で『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)の著者である岡野誠氏が迫る。 * * * 1970年代のジャニーズ事務所は停滞期にあり、混沌としていた。1975年に郷ひろみが移籍し、1978年にフォーリーブスが解散。現在と異なり、グループでの活動はJOHNNYS’ ジュニア・スペシャルやVIPなど数えるほどで、豊川誕や川崎麻世などソロ歌手を中心に売り出していた。 1980年代以降に派手でキャッチーでキラキラ感溢れる“ジャニーズ歌謡”が定着したが、1970年代は未都由『帰っておいで』のように演歌っぽい曲調も見受けられた。 そんな事務所の指針を決定づけた1曲がプロデューサー・ジャニー喜多川氏、ディレクター・羽島亨氏、作詞・作曲:宮下智氏、編曲・船山基紀氏による、田原俊彦の『ハッとして!Good』である。 1979年秋から翌年春まで放送されたドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)で生徒の沢村正治役を演じて人気を得た田原俊彦は、1980年6月21日に『哀愁でいと』でデビュー。これはレイフ・ギャレットの『New York City Nights』のカバー曲だった。 作詞家の小林和子氏は『金八先生』のVTRを取り寄せ、田原の演技をじっくり鑑賞した上で、〈寂しそうな役柄だったので、『哀愁』という言葉が彼に合うかなと思いました〉(拙著『田原俊彦論』より)と日本語詞を付けた。 つまり、『哀愁でいと』の歌詞は“陰”のある沢村正治役のイメージから連想されたもので、1970年代ジャニーズの面影が残っていた。同曲は当時の人気番組『ザ・ベストテン』(TBS系)で3週連続1位に輝くなど大ヒットしたが、カバー曲のため、歌謡界で権威のある『日本レコード大賞』の選考では対象外となる。絶対に2曲目をヒットさせる必要があった。 そんな重圧の中で生まれたのが、9月21日発売の『ハッとして!Good』だった。当初は別の曲に決まっていたが、直前にジャニー氏が却下。ディスコブームの流れからビージーズのようなサウンドを求めていた彼の意向を汲み、ディレクターの羽島氏が長くアメリカに留学していた作家の宮下氏に白羽の矢を立てた。 出来上がってきた楽曲をダンスミュージックにするように依頼された編曲の船山氏は、グレン・ミラーのようなスウィングのリズムを取り入れた。すると、新時代の到来を予感させるような明るくてキラキラした曲調に仕上がり、キャッチーな歌詞も相まって田原俊彦の“陽”が引き出された。 オリコンの歴代編曲家シングル総売上2位で、沢田研二『勝手にしやがれ』など2700を超える編曲を手掛けている船山氏は、羽島氏との対談で、〈「ハッとして!Good」は僕としても会心のアレンジだった。あんなに思い通りにいった曲は後にも先にもなかったよ〉(書籍『ヒット曲の料理人 編曲家・船山基紀の時代』(リットーミュージック)より)と振り返っている。 天才たちの才能が掛け合わされた『ハッとして!Good』は、松田聖子の『青い珊瑚礁』や河合奈保子の『ヤング・ボーイ』などを抑え、ジャニーズ事務所初の『日本レコード大賞』最優秀新人賞に輝いた。 その後も、ジャニー氏を始めとするカルテットが田原俊彦を通して“派手でキャッチーでキラキラ感溢れる歌”を生み出して行き、この系譜は現在のKing & Princeにも受け継がれている。ジャニーズ快進撃の源流は、1980年の『ハッとして!Good』にあったのだ。【参考文献】羽島亨著『ヒット曲は発明だ!』(ポニーキャニオン音楽出版)■文/岡野誠:ライター・芸能研究家。著書に『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)。同書には『哀愁でいと』『グッドラックLOVE』『抱きしめてTONIGHT』などの楽曲誕生過程も詳細に記されている。2020年2月8日13時半から、大阪・ロフトプラスワン WESTで元CHA-CHAの木野正人とトークイベント『“職業:男性アイドル”の考察とジャニー喜多川氏の果たした役割』を開催。
2019.12.29 16:00
NEWSポストセブン
斉藤慶子ほか、50周年『週刊ポスト』表紙女性 80年代編
斉藤慶子ほか、50周年『週刊ポスト』表紙女性 80年代編
『週刊ポスト』がこの8月で創刊50周年を迎える。1969年に創刊された同誌は、表紙に各時代で活躍した女優や女性タレントたちを起用して話題となった。中でも1980年代はアイドル隆盛の10年だった。松田聖子は1980年11月14日号に初登場。1月発売の迎春特大号などを飾る機会が多かった。1986年には“美少女”の先駆け、後藤久美子が12歳で表紙デビュー。本誌カバーガール史上の最年少を記録する。 こうして10代アイドルの占める割合が増えていく一方、樋口可南子や坂口良子、古手川祐子、賀来千香子という正統派美人女優も合併号などで数多く顔を出してくれた。 1986年7月の鈴木保奈美、1987年7月の森高千里など、デビューしたばかりの美女をいち早く起用することも。1988年の創刊1000号は、大人気の“バラドル”だった井森美幸が飾っている。 ここでは、1980年代に『週刊ポスト』の表紙を飾った女性たちを紹介しよう。◆斉藤慶子(1984年4月20日号) 熊本大学在学中の1982年、「JAL沖縄キャンペンガール」に選ばれて芸能界入り。◆多岐川裕美(1980年9月12日号)『柳生一族の陰謀』『俺たちは天使だ!』などのドラマで人気に。◆浅野温子(1981年4月24日号) 1981年の映画『スローなブギにしてくれ』で、小悪魔的な女性を熱演し話題に。◆田中好子(1980年10月10日号) 1978年のキャンディーズ解散で引退したが、1980年に女優として復帰。◆河合奈保子(1982年2月12日号) 1980年に歌手デビュー。1981年の『スマイル・フォー・ミー』で紅白初出場。◆賀来千香子(1983年7月1日号) モデルを経て、1982年に女優デビュー。1986年には『男女7人夏物語』に出演。◆古手川祐子(1984年5月4日号) 清純派女優として人気を博し、1983年の市川崑監督『細雪』では四女を好演。◆後藤久美子(1986年4月11日号) 1986年、NHK『テレビの国のアリス』で女優デビューし、翌年にはNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』に出演。今年12月27日公開の新作映画『男はつらいよ お帰り 寅さん』で山田洋次監督からの熱烈なオファーを受け、23年ぶりに女優復帰する。◆鈴木保奈美(1986年7月25日号) 1986年にドラマ『おんな風林火山』に主演し、数多くのトレンディドラマに出演。◆菊池桃子(1986年8月15日号) 1984年より清純派アイドルとして人気に。1986年には25万人握手会実施。◆酒井法子(1987年5月22日号) 1986~1987年のテレビ番組『モモコクラブ』で人気を博し、1987年に歌手デビュー。●撮影/秋山庄太郎 文/岡野誠※週刊ポスト2019年8月16・23日号
2019.08.07 16:00
週刊ポスト
1986年、コンサートで熱唱する柏原芳恵さんと皇太子さま(当時。写真:時事通信フォト)
天皇陛下もファンを公言していた「柏原芳恵」の功績
 元号が平成から令和に移り変わり、新しい天皇陛下が即位されたことで、ある芸能人に注目が集まっている。1980年にデビューし、『春なのに』などのヒット曲で知られる柏原芳恵(53)だ。20代の頃の天皇陛下(当時の浩宮親王)は、柏原のファンを公言。1986年10月19日、新宿厚生年金会館で開かれたデビュー7周年リサイタルには、『プリンセス・サヤコ』というピンクの薔薇を東宮御所の庭から一輪切り取って持参し、プレゼントした。 柏原といえば、中学2年生だった1979年10月、『スター誕生!』(日本テレビ系)決戦大会で最優秀賞を獲得。翌年6月1日、『スタ誕』の審査員である阿久悠氏の作詞、都倉俊一氏の作曲というゴールデンコンビの作品『No.1』でデビューを果たす(当初は『柏原よしえ』名義)。芸能研究家の岡野誠氏が話す。「1980年の新人は粒ぞろいで、日本レコード大賞の新人賞には田原俊彦、松田聖子、河合奈保子、松村和子、岩崎良美が選ばれ、柏原は選考から漏れました。山口百恵が引退し、アイドル新時代の幕開けの中、最初から順風満帆というわけではありませんでした」 デビュー2年目の1981年、『ハロー・グッバイ』で初のオリコンベスト10入りを果たす。当時の人気音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)では12月3日に7位で初めてランクイン。翌1982年1月28日まで8週連続で名を連ね、最高位4位に。同曲は、アグネス・チャンの『ハロー・グッドバイ』のカバー曲であることも話題になった。『ハロー・グッバイ』のヒットもあり、1981年の日本レコード大賞では同期デビューの田原俊彦、松田聖子、河合奈保子と共に、『ゴールデン・アイドル賞』を獲得。前年、新人賞にノミネートされなかった悔しさ晴らした。 岡野氏が、著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)でも紐解いた『ザ・ベストテン』の詳細データを元に語る。「柏原芳恵の通算ランクイン数は56で、ゴダイゴと並んで歴代28位タイです。1982年は『ハロー・グッバイ』『花梨』などで17回、1983年は『春なのに』などで18回を記録し、年間ランクイン数では2年連続8位に輝いています」『ザ・ベストテン』にランクインした歌手は263組。この中に名を連ねるだけでも大変なことだが、柏原にはもう1つ特筆すべき事柄があるという。「“5年連続ランクイン”は沢田研二、郷ひろみ、吉川晃司、安全地帯、少年隊と並ぶ記録です。番組は1978年から始まり、柏原は1980年デビューのために有利な面はありますが、立派です。番組史上、5年連続以上は15人だけです」 同期デビューの松田聖子、“花の82年組”である中森明菜や小泉今日子が圧倒的な人気を誇ったため、陰に隠れがちな柏原芳恵だが、今もディナーショーなどで往年のヒット曲や最新曲を披露。根強い人気を誇っている。やはり時代を代表するアイドルの一人と言っていいだろう。
2019.05.06 16:00
NEWSポストセブン
河合奈保子の電子書籍復刊企画が完結 魅力凝縮写真5枚
河合奈保子の電子書籍復刊企画が完結 魅力凝縮写真5枚
 近代映画社が1980年代に刊行した河合奈保子写真集を電子書籍として鮮やかに甦らせる復刊プロジェクトは、ついに7巻目。『NAOKO TRANS AMERICA』の配信を迎えた。 シリーズ完結を記念して、全7巻のお宝写真を凝縮した本誌特製豪華小冊子を作成。河合奈保子の「永遠の輝き」をお楽しみください。 『別冊近代映画 河合奈保子スペシャルパート3』(1982年7月刊)より。古書店で4万円もの値がつくほどのシリーズ随一のお宝写真集。ビキニグラビアから旅ロケ、ロングインタビュー、自身が選ぶ楽曲ベストテンなど、彼女の等身大の姿をありのままに収録している。 『近代映画増刊 河合奈保子フォトメッセージ』より。 『NAOKO IN BANGKOK 河合奈保子写真集パート4』(1983年4月刊)より。19歳の時に訪れたタイ・バンコクでの4泊5日を記録した写真集。5種類のビキニを着こなす80ページ超のカラーグラビアに加え、スナップ写真付きの日記やリラックスした表情をとらえたモノクロポートレートなど、大人の女性への変化が印象的だ。 『NAOKO TRANS AMERICA 河合奈保子写真集パート7』(1986年1月刊)より。※週刊ポスト2019年3月1日号
2019.02.24 16:00
週刊ポスト
河合奈保子 モルディブで撮影された水着、スキューバ姿
河合奈保子 モルディブで撮影された水着、スキューバ姿
 1980年にデビューし、アイドル界を席巻した河合奈保子。大好評配信中の河合奈保子写真集電子化復刊プロジェクト第6弾は、モルディブ・ランナリ島で撮影された1985年刊の『奈保子』だ。水着姿で白砂に横たわり、スキューバダイビングに興じ、現地の人びとと触れ合う姿が撮影されたファン待望の写真集。デジタル補正で鮮やかに甦った電子書籍から、その一部をお届けする。 デジタル写真集『奈保子』は全108ページ、税込1620円で好評配信中。【プロフィール】かわい・なおこ/1963年、大阪府生まれ。1980年「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」で優勝し、同年『大きな森の小さなお家』でデビュー、日本レコード大賞新人賞を受賞。翌年『スマイル・フォー・ミー』でNHK紅白歌合戦に出場するなどトップアイドルとなり、計36曲のシングルをリリース。1996年の結婚を機に活動を休止後は表舞台に出ておらず「永遠のアイドル」と呼ばれる。※週刊ポスト2019年2月15・22日号
2019.02.05 07:00
週刊ポスト
河合奈保子、20歳の時に豪州で撮影されたお宝写真5枚
河合奈保子、20歳の時に豪州で撮影されたお宝写真5枚
 大好評配信中の河合奈保子写真集電子化復刊プロジェクト第5弾は、1984年刊の『NAOKO IN AUSTRALIA』だ。20歳の時にオーストラリアで撮影されたこのお宝写真集には、純白ドレスに身を包み、動物たちと戯れ、水着で潮風に吹かれる姿が収められている。その一部をお届けしよう。※週刊ポスト2019年2月8日号
2019.02.01 07:00
週刊ポスト
河合奈保子 19歳時にタイで撮影した秘蔵写真4枚
河合奈保子 19歳時にタイで撮影した秘蔵写真4枚
 大好評配信中の河合奈保子写真集電子化復刊プロジェクト第4弾は、1983年刊の『NAOKO IN BANGKOK』だ。初めて訪れたタイでの4泊5日を凝縮したこのお宝写真集には、19歳のアーティスト・河合奈保子がステージでは見せなかった表情が切り取られている。デジタル補正で鮮やかに甦った電子書籍から、その一部をお届けする。 まずは初めて訪れたタイでの1枚。  写真集では5着のビキニを着こなしている。  撮影はパタヤビーチやコラン島で行われた。  デジタル写真集第4弾より1枚。※週刊ポスト2019年2月1日号
2019.01.24 07:00
週刊ポスト
河合奈保子 グアムでのビキニ撮り下ろしほか秘蔵写真
河合奈保子 グアムでのビキニ撮り下ろしほか秘蔵写真
 大好評配信中の河合奈保子写真集電子化復刊プロジェクト第3弾は、1981年刊の『近代映画増刊 河合奈保子フォトメッセージ』だ。グアムでのビキニ撮り下ろしや、東京散策ロケ、初の単独コンサートのレポートなど、河合奈保子の魅力が満載の一冊。デジタル補正で鮮やかに甦った電子書籍から、その一部をお届けする。※週刊ポスト2019年1月18・25日号
2019.01.14 07:00
週刊ポスト
河合奈保子の晴れ着姿に再会できる! 伝説写真集が復活
河合奈保子の晴れ着姿に再会できる! 伝説写真集が復活
 2018年12月20日よりスタートした、河合奈保子の写真集電子化復刊プロジェクト。きっかけは、古書店で4万円超の高値がついていた『別冊近代映画 河合奈保子スペシャルパート3』の特集(第1弾として配信)だった。読者の反響が大きかったが、ほとんど手に入れることのできない「幻の雑誌」となっていたので、週刊ポスト編集部が近代映画社に電子書籍化を打診し、実現に至った。 第2弾配信は、1981年刊の『別冊近代映画 河合奈保子特集号』だ。まぶしいビキニ姿はもちろん、晴れ着グラビアや直撃150問インタビュー、日本レコード大賞新人賞受賞時のレポートなど全130ページの充実の内容を誇る。デビュー当時の彼女の姿が、デジタル補正で画像鮮やかに甦る。 ここでは、そんな河合奈保子の晴れ着姿を紹介しよう。※週刊ポスト2019年1月11日号
2019.01.10 16:00
週刊ポスト
石破茂・元防衛相、河合奈保子と「電子書籍で再会」に感激した
石破茂・元防衛相、河合奈保子と「電子書籍で再会」に感激した
 1980年にデビューし、多くのファンを魅了した河合奈保子。そんな河合奈保子を特集した『別冊近代映画』が電子書籍として丸ごと復活することになった。永田町のアイドル通として有名な石破茂・元防衛相は、今回の「再会」に感動したという。 * * * この別冊が出た1982年は、私が25歳の頃。彼女は当時19歳だから、「こんな妹がいたらいいんだろうな」と思える存在でした。ビキニの写真を見ると、肉感的なんだけど、不思議と色気を感じさせない。裏表がなく性格がよさそうな、独特の存在感を持つアイドルでしたね。 そして、とにかく歌が上手。彼女の3大名曲といえば、『エスカレーション』(1983年)、『ハーフムーン・セレナーデ』(1986年)、『愛をください』(1982年)ですね。『愛をください』は彼女が選ぶベストテンに入っているんですね。もちろん、どの曲も歌えますよ(笑い)。 29歳で国会議員になりましたが、20代後半のしんどい時に励ましてくれたのが、河合奈保子さんの歌でした。地元・鳥取で挨拶廻りをする車の中で運転しながらよく聴いていましたよ。  還暦を過ぎたわれわれ世代も、この雑誌を見れば、あっという間に20代に戻れるし、昭和に戻れます。古本屋さんで古い雑誌を見て紙の手ざわりを楽しむのは好きですが、古い雑誌を電子書籍のきれいな画像で見るのも趣がありますね。桜田(義孝)五輪担当大臣(1949年生まれ)もスマホを使っているくらいだから、60代の人もスマホやタブレットであの頃の河合奈保子さんに再会できるんじゃないですか?【プロフィール】いしば・しげる/1957年生まれ。1986年に衆院議員に初当選し、以後当選11回を数える。防衛大臣、農水大臣、自民党幹事長を歴任。キャンディーズ、南沙織から河合奈保子、薬師丸ひろ子まで、政界きってのアイドル通として知られる。※週刊ポスト2019年1月1・4日号
2018.12.27 07:00
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