平尾昌晃一覧

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『ザ・ベストテン』、楽曲の魅力を最大限に引き出した「一期一会のセット」
『ザ・ベストテン』、楽曲の魅力を最大限に引き出した「一期一会のセット」
 1978年から1989年にかけて、伝説の音楽番組が放送されていた。毎週、番組で集計したヒット曲ランキングを紹介し、歌手たちが生で歌を披露する、TBS系の『ザ・ベストテン』だ。1981年9月には番組史上最高となる視聴率41.9%を記録している。『ザ・ベストテン』が始まった1978年は、NHK紅白歌合戦でトリを飾ったのが沢田研二(73才)と山口百恵。歌謡曲が全盛期を迎える予兆があった。同番組で美術デザイナーを務めた三原康博さん(84才)は、こう話す。「あの頃、阿久悠が沢田研二の歌を作詞し、阿木耀子が山口百恵を、松本隆が松田聖子を、という感じで毎回いろんな曲が世に出てきた。それを毎週受け止めて解釈し、歌手の衣装には触らないけれど、毎回違う美術セットで新しい演出を考えたのです」 暗黙のうちに、番組美術制作者と歌い手・作詞家・作曲家の間に、いい緊張感が生まれていた。質の高い美術セットが、この番組の人気を支えた。 では、当時の『ザ・ベストテン』を彩った“名セット”を紹介する。●山口百恵『美・サイレント』 1979年3月22日放送で6位の『美・サイレント』。セットは顔が動く仕組みで、百恵はスリットの入ったスカートで登場。「山口百恵はどう撮っても"絵になる人"でした」(三原さん・以下同)。●小泉今日子『なんてったってアイドル』  1985年12月5日の初登場8位から、4週目に1位を獲得。3位だった1986年1月9日放送のセット模型。「ラスベガスなどにある看板をイメージしました。このセットはぼくの中でも代表作だと思っています」。●ピンク・レディー『UFO』 番組初回(1978年1月19日放送)の1位がこの曲。3週連続1位を記録。初回ではケイ(増田恵子、64才)が大ファンだった故・田村正和さんがお祝いに駆けつけたが、ケイ本人は「覚えていない」という。巨大な手が上下するセット。●平尾昌晃・畑中葉子『カナダからの手紙』 デュエット・ソングの定番。1978年2月23日の初登場10位から、最高順位は5位。手紙をイメージした美術セットや、長距離恋愛というシチュエーションに合わせて、2人が別々の場所で歌うこともあった。●中森明菜『ミ・アモーレ』 8週連続で3位以内(1位1回)をキープした明菜の11枚目のシングル曲。1985年4月4日放送のセット模型。「この歌って、本当にいい歌なんですよ。だから自分も乗って製作し、非常によいものができました」。●渡辺真知子『迷い道』 1977年11月に発売された渡辺真知子(65才)のデビュー曲。1978年3月16日の初登場9位から、最高順位は6位。『迷い道』をイメージしたセットのデザイン画。同年6月には『かもめが翔んだ日』もランクイン。●沢田研二『カサブランカ・ダンディ』 1979年2月22日、初登場5位。3月8日放送で1位を獲得したほか、11週連続ランクイン。アメリカ国旗と自由の女神をイメージしたセットのデザイン画。取材・文/北武司 セットデザイン/三原康博※女性セブン2022年1月20・27日号
2022.01.17 07:00
女性セブン
紅白で歌われた作曲家ランキング 2位は筒美京平さん、1位は?
紅白で歌われた作曲家ランキング 2位は筒美京平さん、1位は?
 1951年、正月のラジオ番組としてスタートした『NHK紅白歌合戦』は、1953年からテレビ中継が始まり、大晦日に定着。最盛期には視聴率80%を超える国民的番組として数々の名場面を生んできた。過去70回の放送で歌われた曲数はのべ3500以上。それらの楽曲について、作曲家別に「紅白で歌われた回数」をランキング化した(*)。(*/【集計方法】編集部調べ。民謡、俗曲、洋楽のカバー曲は除外した。メドレーの全曲、作曲家の別名義の作品、他の作曲家との共同作品も含んで集計。1984年、紅白史上初のアンコールで歌われた都はるみの『好きになった人』含む) その結果、歌われた回数も、曲数も、歴代1位の作曲家は弦哲也であることが判明した。 1981年の『ふたり酒』以来、ほぼ毎年提供曲が歌唱されている。『天城越え』『二輪草』など、紅白で繰り返し歌われている定番曲を複数手がけていることが要因だろう。 以下3位までは回数も曲数も同じ顔ぶれで、第2位は10月に訃報が届いた筒美京平。1967年の弘田三枝子『渚のうわさ』から2017年のTOKIO『AMBITIOUS JAPAN!』まで、半世紀にわたって大晦日の舞台を彩ってきた。演歌系の作曲家が上位を占める中、「ポップスの巨匠」の名に違わぬ活躍ぶりだ。 第3位は吉田正。国民栄誉賞を受賞した都会調歌謡の第一人者で『有楽町で逢いましょう』や『いつでも夢を』など、戦後を代表する楽曲を数多く生み出してきた。4位以降もやはり国民栄誉賞を授与された遠藤実や、都はるみが師と仰ぐ市川昭介など、歌謡界を牽引した大御所の名前が並ぶ。 年代別では、紅白黎明期の1950年代は今年の朝ドラ『エール』のモデルとなった古関裕而や古賀政男など、戦前から活躍する作曲家がランクイン。1960年代以降はジャズやロックの影響を受けたポップス系の作曲家が台頭し、宮川泰、中村八大、筒美、都倉俊一、平尾昌晃らが覇を競う。 時代が平成に移った1990年代以降は「プロデューサー」の肩書きを持つ小室哲哉、つんく♂、中田ヤスタカらが活躍。変化の激しい音楽シーンで、長期間上位に名を連ねる三木たかしや馬飼野康二は特筆すべき存在といえるだろう。(敬称略)※週刊ポスト2021年1月1・8日号
2020.12.23 16:00
週刊ポスト
ああ
手越祐也の会見 しゃべり続けたことはすごいが技術不足も
 YouTubeで生配信され、最大130万人以上が同時に視聴していた元NEWS・手越祐也(32才)の記者会見。高い注目度となったこの会見を、放送作家の山田美保子さんが分析する。 * * *◆終始同じテンポ、同じトーンで話しきった手越クン ジャニーズ事務所を退所した手越祐也クンの会見はYouTubeで見させていただきました。というのも、仕切っていたPR会社さんからは、「1社1カメ」で記者も代表者のみ。残念ながら私はその枠には入れていただけなかったからです。 でも、“リポーターさん枠”は別にあったようで、NEWSのコンサートの際、手越クンを囲んできた著名な女性リポーターさんは、ほぼ勢揃い。手越クンもきっと、うれしかったと思います。 途中、夫が「大きい画面で見れば?」とテレビで見られるようにセッティングしてくれたので、かなり助かりました。手越クンが立て板に水の如く、かなりの早口でまくしたてるので、肝心なところがなかなか理解できず、スマホを持つ手もくたびれてしまったからです。 結局、一言一句、聞き逃さなかったというには程遠い状態で、翌朝、スポーツ紙やワイドショーのフォロースーパー(字幕)を読みながら、あぁ、そういうことを言っていたのか…と、やっと理解できました。 いや、それでもわからなかった箇所もありましたし、納得がいかない箇所は本当にたくさんありました。多くの記者さんからの質問に、言いよどむことなく答えた手越クンは立派だったし、嘘はなかったと思います。ただ、冒頭と最後の方で、やや辻褄が合わなくなってしまっていたし、言葉の間違いもあった。「医療従事者」「ボランティア」「チャリティー」という、コロナ禍で本来なら多くのかたたちに刺さるワードが連発されたのに、正直、刺さってこなかったし、逆に“ツッコミどころ”になってしまったのはなぜだったのか。 私はジャニーズのアーティストさんの中でも、NEWSは特に応援させていただいていたグループ。聞く耳のサイズを大きくして、心も広げてスタンバイしていたつもりなのですが、それでも手越クンの話の多くが入ってこなかったのです。 しゃべりの勉強をしたかたなら、その答えがすぐおわかりになったでしょう。アナウンサーの研修でも、「人によく伝わるしゃべりのコツ」として、アクセントや滑舌以外に、声の高低や間、緩急などを心がけていると思います。しかし手越クンの場合は、終始同じテンポで、ほぼ同じトーンで話しきった。 それでも、声を枯らすこともなく、水分補給することもなく、115分も、ほぼひとりでしゃべり続けたことには敬意を払いたいと思います。すごいです。でも前述のテクニックは皆無だったため、私のように頭の回転が衰えてきた年代には特に入ってこなかったのでした。 過去、芸能界では手越クンのようなしゃべりをするかたがいらっしゃいました。私がまず思い浮かべてしまったのは羽賀研二さんです。まだワイドショーに活気があった頃で、当時の恋人との件で、羽賀さんは何度も何度もリポーターさんや記者さんから囲まれたものです。 そのたびに、ペラペラペラペラと、本当によくお話になった羽賀さん。逃げずに対応する“お人柄”は、マスコミから愛されましたし、「これもまたひとつの才能だ」なんて言われたものです。「誠意」というワードを連発した後には、「誠意大将軍」なる鉢巻をしてCMにも出演されました。 思えば、理論武装というほど理論はなかったものですが、そうした“才能”は、良くも悪くもビジネスの場で開花。特に宝石や和服の「お見立てゲスト」として、羽賀さんは最適なかたでした。それが高じて、ジュエリーデザイナーにもなられるワケです。羽賀さんが後ろにまわってネックレスやペンダントを留めてくれたり、前で跪くかのように手をとって指輪やブレスレットを着けてくれて、「とてもお似合いですよ」なんて言われたら、私もたぶん買っちゃいましたね(笑い)。ここで手越クンの名前を出すのもどうかと思いますが、一部で報道されていた「女性向け商品の開発」や「販売」は、必ずや成功すると思います。◆「中居クンが3段だとすれば手越クンは7級くらい」の評価 ペラペラペラペラということでは、平尾勇気サン(39才)も思い出されます。個人的に親しくさせていただいていますし、お父様の平尾昌晃さん(享年79)がお亡くなりになってからのさまざまなトラブル禍では、私は勇気サンに理解を示しています。 ですが彼も、放っておいたら、いつまでもずっとしゃべり続けられる人。それが理由で、視聴者のみなさんに誤解されてしまうことも多かったように思います。悔しい想いをたくさんしているのだから、そういうときは、言葉に詰まったり、涙を浮かべたりした方が、人には伝わると思うのです。 手越クンの会見後も、ファンのかたから「泣きたいときは泣いていいんだよ」という心優しいツイートがたくさん見られました。 もうおひとり、入ってこないしゃべりをするかたといえば、アンジャッシュの渡部建サン(47才)です。『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系)に番宣ゲストが入っていたとき、ゲストに代わってドラマや映画の内容をペラペラペラペラ説明するのが渡部サンの役割でした。頭の回転が速いのは認めますし、覚えもいいのでしょうけれど、あれって入ってきましたか?  私は、拙いなりにも先に短く説明した演者さんのしゃべりの方が心がこもっていて、伝わってきたものです。文春砲の第1弾の5日後、記者さんの質問に答えた渡部サンのしゃべりを聞きたかったなと思いました。言葉に詰まったり、涙を浮かべたりされたそうですから、各番組でのしゃべりよりは、ずっと伝わってきたのではないでしょうか。 手越クンに話を戻しましょう。あのように素早いタイミングで会見を行ったのは「正解」でしたし、「正直」だと思いました。 そんな手越クンの会見については、“しゃべりのプロ”、ダウンタウンの松本人志サン(56才)と中居正広クン(47才)が6月28日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)で言及しました。 中居クンを「会見の有段者ですから。3段だとすれば、手越クンは申し訳ないけど7級くらいだったかな」と言った松本サン。対して、「本質的なことをゆっくり落ち着いて話せばいいんですが、火を消すことでいっぱいいっぱいだった」「状況もタイミングも違いますから、ぼくと比べたらかわいそう」「荷が重いと思います」と中居クンはフォローしました。 会見のプロでもあれば、しゃべりのプロでもある中居クンは、思えば、間や緩急といったテクニックも熟知している人でもあります。私も勉強させていただきます。 そして、手越クンが大好きなジャニーズ、大好きなNEWSを辞めるに相当するか、それ以上に値するご活躍を祈っています。◆構成/山田美保子『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)などを手がける放送作家。コメンテーターとして『ドデスカ!』(メ~テレ)、『アップ!』(同)、『バイキング』(フジテレビ系)、『サンデージャポン』(TBS系)に出演中。CM各賞の審査員も務める。※女性セブン2020年7月16日号
2020.07.05 16:00
女性セブン
1978年の世界歌謡祭でグランプリ(時事通信フォト)
円広志『夢想花』ヒット後、売れなくなり初めて大人になった
 大ヒット曲を生み出すと、人生が一変する。それによって、大きな失敗も引き寄せてしまうこともある。それらを経験したからこそ今があると話すのは、1978年のヒット曲『夢想花』を作詞作曲し、歌った円広志。一度聞くと忘れられない「とんで」を9回繰り返す『夢想花』が生まれ、売れなくなって堕落した経験について円が振り返る。 * * * 大学時代に結成したバンドが大阪で結構人気があったんですが、メンバーの就職などで解散を余儀なくされ、もう音楽ができなくなると思うと辛かった。その心の叫びを形にしたのが「とんで」が繰り返される『夢想花』でした。曲ができた瞬間「売れる、金になる」と直感しました。今までにない曲でしたから。 デモテープをヤマハの人に聴いてもらうと「面白いからポプコンに出ろ」と勧められ、ポプコンと世界歌謡祭でグランプリを獲り、レコードデビューしたんです。当時すでに結婚していた嫁に仕事をやめさせて一緒に上京しました。『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)、『ザ・ベストテン』(TBS系)などの歌番組に出まくり、取材日には1日8社のインタビューを受けました。調子に乗りましたよ、大スターになったみたいに(笑い)。でも、2曲目以降が売れず、3か月でみんなの前から消えました。 円広志という人間に魅力がなかった。だから曲に力がないと売れない。ただそれだけの話ですよ。売れなくなってから夜遊びを覚えました。何しろ金と時間はたっぷりありましたから。昼過ぎに起きてパチンコに行き、夜から朝まで飲む。1年ちょっとで2000万円ぐらい飲んだんじゃないですか。堕落していくのは分かっているんですが、落ちていく感覚が快楽でした。3年ぐらい経ち、金も底を突き、仕事もすべてなくなり、大阪に戻りました。それでも文句を言わない嫁に助けられました。 大阪に戻り、またロックをやるとファンが増えました。音楽しか知らなかった青年が堕落を経験して人として幅ができ、多少の色気も出てきたからじゃないですかね。その後、島田紳助さん、やしきたかじんさん、上沼恵美子さんらに可愛がられ、今に至ります。『無想花』がヒットし、売れなくなり、僕は初めて大人として成長できたんです。●まどか・ひろし/1953年、高知県生まれ。『よ~いドン!』(関西テレビ)のレギュラー、『かんさい情報ネットten.』(読売テレビ)のコメンテーター。森昌子の『越冬つばめ』の作曲家。著書に『パニック障害、僕はこうして脱出した』(詩想社)ほか。【1978年のヒット曲】『UFO』(ピンク・レディー)/『微笑がえし』(キャンディーズ)/『カナダからの手紙』(平尾昌晃・畑中葉子)/『Mr.サマータイム』(サーカス)/『時間よ止まれ』(矢沢永吉)/『わかれうた』(中島みゆき)※週刊ポスト2020年6月12・19日号
2020.06.04 16:00
週刊ポスト
平尾昌晃氏、岩崎良美らが見た「松田聖子、誕生の瞬間」
平尾昌晃氏、岩崎良美らが見た「松田聖子、誕生の瞬間」
 この4月でデビュー40周年を迎えた松田聖子(58)は、いかに“成功への扉”を開いていったのか──。今春、『1980年の松田聖子』(徳間書店)を上梓した芸能ノンフィクションライター・石田伸也氏が、“松田聖子誕生”の瞬間を振り返る。 * * * 1980年4月1日、松田聖子のデビュー曲『裸足の季節』は、日本のアイドル史を変える革命となった。以来、今なおトップに君臨し、昨年の大みそかも『NHK紅白歌合戦』でヒットメドレーを披露している。 作曲家の故・平尾昌晃は、聖子がまだ本名の「蒲池法子」だった1978年に出会った。主宰する音楽学院の福岡校に、聖子は久留米からレッスンを受けに来ていた。「トロフィーを持って帰ったら、生まれて初めて父に引っぱたかれたんですよ」 それが初対面の聖子の言葉だった。1978年に開催された「ミス・セブンティーンコンテスト」で、聖子は九州大会のグランプリに輝く。次は全国大会となるはずが、厳格な父に反対されて断念する。それでも、聖子の信念は揺るがなかったと平尾は記憶する。「先生、私は歌手になって必ず成功するから!」 歌手になることを「夢見る」子は多いが、その先に自分の成功を「イメージ」できている子は珍しいと平尾は感心していた。 まだ正式なデビューは決まらなかったものの、聖子は父親を説得して高3の夏に上京。サンミュージックプロダクションに籍を置くが、同社とCBS・ソニー(当時)は、大型新人として中山圭子(現・圭以子)を売り出す予定でいた。中山を獲得するにあたり、サンミュージックはこんな覚書を親と交わした。「向こう1年間は(他の)新人をデビューさせない」 こうした大人たちの思惑をよそに、聖子と圭子は仲の良い日々を過ごした。「初めて会ったのは私が中3、聖子さんが高3の時です。同じサンミュージックに所属して、同じ指導者のもとでダンスレッスンを受けていました」 レッスンの終わりには圭子がピアノを弾き、それに合わせて聖子が歌うことも多かった。完成した圭子のデビュー曲に「いい曲ね、涙が出ちゃった」と聖子は素直に祝福したという。圭子のデビュー曲は輸入シャンプーのCMソングとして世に大々的に流れるはずだったが、日本では禁止成分が入っていたため発売そのものが中止に。 そしてサンミュージックでもソニーでも急速に評価が高まっていた聖子が4月にデビューすることとなる。あれほど破格の扱いだった圭子に、サンミュージックは冷たい宣告をした。「キミへの宣伝費は聖子に回すから」 結局、圭子は1年半で一度引退するが、それでも、同世代の一番星としての聖子を見守り続けた。 聖子がデビューした1980年は、田原俊彦、河合奈保子、岩崎良美、そして松村和子も並んだことで「黄金の80年組」と呼ばれた。特に聖子と良美は同い年、同じ堀越学園で机を並べ、親友の間柄であった。「アイドル誌の撮影で私たちにショートケーキが出されたんです。ところが法子(聖子の本名)は半分も食べない。その理由を聞くと『良美ね、これ全部食べたら後悔すると思うの』って」 その言葉に良美は徹底したプロ意識を感じた。この年の新人は仲が良く、誰が最優秀新人賞に輝いても全員が祝福したという。良美は、その後の聖子を「ずっと皆をドキドキさせる“松田聖子”というブランド」と評する。 聖子と誕生日が13日違いの松村和子は、楽屋ではイメージと違ってキャピキャピしたところがなく、自分を客観視できる女性という印象を持った。「私は聖子ちゃんに1年遅れて1981年に紅白に初出場。そこの楽屋ではお互いファンの立場に戻り、私が『やっぱりカッコいいな、ゴロー(野口五郎)は』と言うと、聖子ちゃんが『うちのヒロミ(郷ひろみ)のほうがカッコいいわよ』って、無邪気に盛り上がっていましたね」 いかにも聖子らしかった。【プロフィール】いしだ・しんや/1961年、熊本県生まれ。「週刊アサヒ芸能」を中心に芸能ノンフィクションを執筆。主な著書に『ちあきなおみに会いたい。』(徳間文庫)、『甲斐バンド40周年 嵐の季節』(ぴあ)などがあり、最新刊『1980年の松田聖子』(徳間書店)が発売中。※週刊ポスト2020年4月24日号
2020.04.14 16:00
週刊ポスト
京唄子さんの終活 介護費用も事前準備でトラブル回避
京唄子さんの終活 介護費用も事前準備でトラブル回避
 大きな帽子と大きな口がトレードマークで、鳳啓助さん(享年71、1994年8月逝去)との漫才コンビ「唄子・啓助」で一世を風靡した京唄子さん(享年89)。女優としても活躍したが、2017年4月に肺炎のため入院中の病院で亡くなった。京さんは、生前整理に力を入れていた。 2009年に腰椎を骨折した後、懸命なリハビリを続けていたが腰の状態が悪化し、最後の5年間はやせ細って、ほぼ寝たきりの生活だった。 恋多き女として知られた京さんは、4度の“結婚”を経験。最期を看取ったのは、初めの夫との間に生まれた一人娘の鵜島節子さん(68才)と、事実婚関係にある4人目の夫だった。一般的に、結婚回数が複数あると、相続の当事者が増えることからトラブルになりやすい。 芸能界の事例でも、2017年に逝去した平尾昌晃さん(享年79)の60億円といわれる遺産をめぐって、3人目の妻と2人目の妻の子供たちが、法廷で争った騒動は記憶に新しい。幸いにして、京さんの相続は“争続”とは無縁だったと娘の節子さんが語る。「私にきょうだいがいなかったこともあり、遺産相続は滞りなく終わりました。一緒に母を介護していた義父もお金に執着のないかたで、トラブルが生まれるようなことはまったくありませんでした」 最後の5年ほどは介護生活を送った京さんだが、トラブルが起こらなかった秘密は、介護費用を事前に準備していた周到さにもあるだろう。「母は、『身の回りの世話をすることになった時、必要になるかもしれないから』と、事前に口座を作って私に通帳を渡してくれました。お金の話をされたのはそれくらい。私と義父が困らないようにという、母の気遣いを感じました」(節子さん) 財産の相続については何も語らないまま京さんは天国へと旅立ったが、しっかりと遺言を遺していた。「母の遺品整理を行っている最中、金庫に遺言書があるのを知りました。そこには、すべての財産を私に相続するといった内容が書かれていました」(節子さん) 洋服が好きだった京さんの遺品整理は、まだまだ終わりそうにないと節子さんは笑う。偉大な母の大きな帽子が、今も節子さんを見守る。※女性セブン2019年3月28日・4月4日号
2019.03.27 15:00
マネーポストWEB
樹木希林さんにみる「賢い相続」 空き家は賃貸に、会社も名義変更
樹木希林さんにみる「賢い相続」 空き家は賃貸に、会社も名義変更
 少なくともマンション3つに戸建てを5つ──昨年9月に亡くなった樹木希林さん(享年75)は、芸能界屈指の“不動産女王”でもあった。2004年に乳がんが発覚してから身の回りの整理を始めたが、趣味の不動産は増え続けた。そんな彼女が最後にこだわった「遺産相続」の中身は、思わず「さすが!」と感心させられるものだった。 樹木さんが亡くなる前に所有していた8つの不動産の土地、建物を合算すると、総額は優に10億円を超えると予想される。このほかにも年に2~3本の映画やドラマ、CMなどの出演料もあった。がんの治療代がかかったとはいえ、決して贅沢はせず質素な生活を送っていたことから、預金も相当な額があったと考えられる。ところが、これだけ巨額の遺産がありながら、樹木さん亡き後、遺族の相続はもめることなく驚くほどすんなり決まったという。 樹木さんは亡くなる半年ほど前に余命宣告を受けてから、お葬式の準備と並行して、遺産相続の準備も進めていたという。早いうちに遺産相続を終わらせ、生前に相続先を指定する遺言書を書いていたとみられる。 樹木さんの死後、都内にある3つの戸建ては相続により名義が樹木さんから娘の也哉子(42才)に変更された。樹木さんが2分の1、也哉子の夫である本木雅弘(53才)が2分の1を所有していた戸建ての土地も、樹木さんから也哉子に名義変更されている。マンションも、本木や孫の伽羅(19才)の所有となり、夫・内田裕也(79才)名義のものは、1つもない(図参照)。 このことから、樹木さんの意志を尊重して、内田が不動産の相続を放棄したのではないかとみられる。そこには、家族全体の負担を少なくするなどの配慮もあったようだ。相続コーディネーターの曽根恵子さんが語る。「将来、也哉子さん一家が2次相続で多額の税で苦しむことがないように、内田さんを含めてご家族で話し合い、マンションに住み続けられるようにして、内田さんが樹木さんの遺言書の内容を受け入れられるようにしたのではないでしょうか」 ほかにも、樹木さんには「賢い相続」が数多くみられるという。「上手なのは、空き家のいくつかを賃貸にしていることです。法律で、賃貸業をしていると200平米までは土地の評価が50%減額になるので相続税の節税になります。また、相続した賃貸契約はそのまま引き継がれます。現在、飲食店に貸し出している戸建てAの家賃収入は、也哉子さんのものになる。また、空き家のまま老朽化したり、無駄に固定資産税や管理費だけがかかるのも防げるので、賢い不動産の活用の仕方だといえますね」(前出・曽根さん) さらに、樹木さんは個人事務所の「希林館」も将来を見越した名義変更を行っていた。登記を見ると、2003年に也哉子に代表取締役を任せ、昨年2月に内田が取締役を辞任し、代わりに也哉子の長男・UTA(21才)を取締役にしている。この個人事務所の名義で所有する不動産もあり、今後は也哉子が、社長として運営していく。「お孫さんが取締役に入ったのは、也哉子さんの業務をサポートするためと思われます。また、20年後、30年後の会社の行く末を見据えて、早めに仕事を任せておこうという思いもあったのではないでしょうか」(前出・曽根さん)◆芸能界でも相続トラブルは多い 年々、「争族」と呼ばれる親族間の相続トラブルは増加。司法統計によると、家庭裁判所で受理した「遺産分割に関する処理」の件数は1万4662件(2016年)で、25年前の約1.5倍となっている。 芸能界でも相続トラブルは多い。2014年に逝去した宇津井健さん(享年82)は、臨終の5時間前に高級クラブの女性と婚姻届を出したが、その後、2億円豪邸をめぐって女性と宇津井さんの長男が骨肉の争いを演じた。 2017年に逝去した作曲家の平尾昌晃さん(享年79)は3人目の妻と2人目の妻の子供が60億円といわれる遺産をめぐって対立し、争いは法廷に持ち込まれた。巨額の遺産が生じる芸能界で、樹木さんも醜い遺産争いを何度も見聞きしていたはずだ。だからこそ、家族を幸せにする相続を考えたのだろう。 樹木さんのように「相続術」を成功させるために最低限必要なのは、あらかじめ遺言書を作成して「死ぬ前の手続き」を終わらせておくことだ。「遺言書がないと、死後に初めて親族の間で遺産分割協議が始まることになります。そうすると“自分がいちばん介護をしていたんだから取り分が多いはずだ”“遺産分割のために家を売りたくない”といったもめ事が起きやすい。 1月13日に施行された相続に関する民法の改正により、自筆の遺言書のうち財産目録については、パソコンでの作成や通帳のコピーを利用することができるようになり、介護をした人も『特別寄与料』として相続人から貢献した分を金銭で払ってもらえるよう請求することが認められるなど大幅にルールが変わりました。認知症や病気の進行で意思疎通が難しくなってしまう前に、樹木さんのように家族が円満でいられるベストな選択となる遺言書などを残しておくべきです」(前出・曽根さん) 不動産や預貯金だけでなく、樹木さんは家族の幸せも遺して旅立っていった。※女性セブン2019年2月21日号
2019.02.13 16:00
マネーポストWEB
追悼2017 松方弘樹さん他、男性芸能人・選手たち
追悼2017 松方弘樹さん他、男性芸能人・選手たち
 2017年を振り返れば、多くの人が旅立った。彼らの活躍や生き様は、私たちの目に、心にしっかりと刻まれている。今年、惜しくも世を去った男性芸能人、そしてスポーツ選手たちを紹介する。●渡瀬恒彦さん(俳優、享年72) 映画『殺し屋人別帳』(1970年)で銀幕デビュー。映画『事件』やドラマ『十津川警部シリーズ』(TBS系)、『おみやさん』(テレビ朝日系)などに出演しスターダムに。俳優・渡哲也は実兄。2015年に胆のうがんが発覚、通院しながら仕事に打ち込んだが今年3月14日に没した。●藤村俊二さん(タレント、享年82) テレビ『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』(日本テレビ系)出演で脚光を浴び、『8時だョ! 全員集合』(同)では振付を担当。いつの間にか「ひょい」といなくなるので「おヒョイさん」と呼ばれ親しまれた。2015年に小脳出血で倒れた後、今年1月25日、心不全で死去。●平尾昌晃さん(作曲家、享年79) 1958年の歌手デビュー後、ミッキー・カーチス、山下敬二郎とともに「ロカビリー三人男」として一世を風靡。1966年に作曲家に転身、『瀬戸の花嫁』『霧の摩周湖』など数々のヒット曲を手がけた。2年前に肺がんを発症後、入退院を繰り返したが、今年7月21日に帰らぬ人となった。●砂川啓介さん(俳優・司会者、享年80) 1961年に『うたのえほん』(NHK)での初代「体操のおにいさん」で子供たちの人気者になり、以後、俳優、司会者としても活躍。妻はドラえもんの声優で知られる大山のぶ代(写真右)。認知症を患う妻を介護していた最中の7月11日、尿管がんにより没した。●かまやつひろしさん(ミュージシャン、享年78) ザ・スパイダースのメンバーである一方、『あの時君は若かった』『いつまでもどこまでも』『バン・バン・バン』など作曲も担当。解散後も吉田拓郎作詞作曲の『我が良き友よ』が大ヒット。父はジャズシンガーのティーブ釜萢、歌手・森山良子は従妹。3月1日、膵臓がんにより没した。●森慎二さん(元プロ野球選手、享年42) 1997年にドラフト2位で西武に入団。2002年、2003年には最優秀中継ぎ投手に選ばれた。2005年に渡米しデビルレイズに入団。退団後、独立リーグの監督などを経て2015年から西武の投手コーチに就任した。通算44勝44敗50セーブ。6月28日、壊死性筋膜炎によって死去。●神山繁さん(俳優、享年87) 文芸座で演出助手から俳優に転身。1965年ドラマ『ザ・ガードマン』(TBS系)で広く知られるようになり、映画『ブラック・レイン』(1989年)、『沈まぬ太陽』(2009年)などに出演。1月3日、肺炎で死去。「葬式無用、戒名不要」の遺志により、葬儀・告別式は行なわれなかった。●松方弘樹さん(俳優、享年74) 父は俳優・近衛十四郎、母は女優・水川八重子。映画『十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ』(1960年)で主演デビュー後、任侠映画や時代劇を中心に活躍。代表作は『仁義なき戦い』(1973年)ほか多数。大の釣り好きとして知られた。1月21日、脳リンパ腫のため死去。※週刊ポスト2017年12月22日号
2017.12.15 16:00
週刊ポスト
紅白歌合戦出場者、「節目組」「再ブレーク組」に注目
紅白歌合戦出場者、「節目組」「再ブレーク組」に注目
 あっという間に年末が迫ってきた2017年。今年のNHK紅白歌合戦には、デビューからの節目の年になる「記念組」も出演者としての候補に挙がっている。「Winkは来年4月でデビュー30周年を迎えます。相田翔子さん(47才)は離婚や事業に失敗した鈴木早智子さん(48才)をかなり気にかけていましたし、2人とも前向きだとか。紅白を再結成の舞台に選ぶ可能性が高いでしょう」(テレビ局関係者) 工藤静香(47才)もそうだ。「今年ソロデビュー30周年を迎え、8月には12年ぶりのアルバム『凜』をリリースしたばかり。9月にはNHKの歌番組『SONGS』にも出演していますし、今年はSMAPもいませんから19年ぶりの当確ともいわれています。家族揃ってのお正月を選択する可能性もありますが…」(NHK関係者) 同じく当確といわれているのは朝ドラ『ひよっこ』の主題歌『若い広場』を歌った桑田佳祐(61才)と、同じく朝ドラ『わろてんか』で主題歌『明日はどこから』を担当している松たか子(40才)。NHKへの貢献度も紅白出場に大きくかかわる。「朝ドラはもちろん『うたコン』や『SONGS』などのNHKの音楽番組に出演しているアーティストも出場する傾向が強い。今年はEXILEの弟分、GENERATIONSがよく出ていましたね。また、毎年『NHK全国学校音楽コンクール』の課題曲担当歌手も、出場しています」(別のNHK関係者) 一度落選した大物歌手の再出場はなかなか難しいが、再ブレーク組にもチャンスはあるという。サッカーへの造詣の深さが話題の小柳ルミ子(65才)も注目の1人。「今年、紅白のエンディング『蛍の光』を指揮していた平尾昌晃さん(享年79)が亡くなったので、追悼の意味でも『わたしの城下町』や『瀬戸の花嫁』を歌うかもしれません。荻野目洋子さん(48才)もありえます。平野ノラさん(38才)がネタで披露したり、高校のダンス選手権で準優勝した高校が『ダンシング・ヒーロー』を踊るなどリバイバルヒット中です。本人も今月末の『うたコン』に出演予定です」(別の芸能関係者) 紅白への出演は“名誉”であり、“ギャラ”ではない。それだけに気になる出演料も意外と低い。「出演料はキャリアやNHKへの“貢献度”でランクごとに決められていて、出場回数50回を誇った北島三郎さん(81才)でも50万円前後でした。司会のギャラも控えめで、100万円程度といわれています。しかも衣装は自前といいますから、金銭的なうま味はあまりないでしょうね」(芸能リポーター)※女性セブン2017年11月2日号
2017.10.24 07:00
女性セブン
紅白 安室出演は絶望的で隠し玉はルミ子、加山、百恵さんか
紅白 安室出演は絶望的で隠し玉はルミ子、加山、百恵さんか
 本番まであと2か月半となった大晦日の風物詩『NHK紅白歌合戦』。期待されるのは、引退を電撃発表した安室奈美恵(40)の“最後の出演”だが、どうやら交渉は難航しているようだ。NHK局員がいう。「上田良一・NHK会長は10月5日の定例会見で“そういう皆さんに喜んでいただける展開になればいい”と前向きなコメントをしたものの、安室さんの出演は絶望的な状況です。昨年は彼女の『Hero』がリオ五輪のテーマ曲だったことから上層部が出演を頼み込んだが、実現しなかった。今年も安室サイドは“自分をずっと見守ってくれたファンのために歌うことが優先”という姿勢のようで、交渉は進んでいない」 となれば、代わりの「目玉」はどうなるのか。高視聴率を記録した朝ドラ『ひよっこ』の主題歌を歌った桑田佳祐(61)も有力と見られているが、こちらも問題山積。「毎年恒例の横浜での年越しライブがすでに組まれているため、コンサート会場からの中継に限られる。3年前にも同様の形で出演しているので新味はない。“目玉”というにはちょっと……という声もある」(同前) そこでNHKは様々な“隠し球”を用意すべく動いているようだ。まずは今年「詳しすぎるサッカー解説」で注目を集めた小柳ルミ子(65)。別のNHK関係者がいう。「来年の大河ドラマ『西郷どん』に出演し、代表曲は今年亡くなった作曲家・平尾昌晃さんの『瀬戸の花嫁』と『わたしの城下町』。いまだオールドファンの支持は高い。ベテランでは、今年傘寿のメモリアルイヤーだった加山雄三さん(80)も検討されている。『24時間テレビ』で『さよならの向こう側』をカバーした、山口百恵さんの息子、三浦祐太朗さん(33)も有力候補です。もし百恵さんが何らかの形でサプライズ出演となれば最大の目玉になるのですが……」 例年「視聴率40%」を死守できるかの攻防が繰り広げられている紅白。キャスティングの必死さはよく伝わってくるが、結局は「昔の名曲」に頼らざるを得ない?※週刊ポスト2017年10月27日号
2017.10.17 16:00
週刊ポスト
“山口組芸能部長” 高倉健さん他スターとの華やかな交遊録
“山口組芸能部長” 高倉健さん他スターとの華やかな交遊録
 元ヤクザの男が、老人ホームでひっそりと息を引き取った。男はかつて、ヤクザと芸能界のパイプ役を務め、“山口組芸能部長”の異名を持つ超大物だった。とくに縁が深かったのが、3年前に亡くなった俳優、高倉健だった。その男が若くして亡くした息子の命日には、東京から岡山まで一人でわざわざ焼香に来てくれたのだという。ノンフィクション作家の森功氏がその人物と芸能界の関係性を辿る。(敬称略) * * * 山口組の芸能活動は古く、もとはといえば二代目組長の山口登時代にさかのぼる。本格的に力を入れ始めたのが、終戦の翌1946年、田岡一雄が三代目組長を襲名してからだ。田岡は戦後復興から高度経済成長期にかけ、港湾事業と芸能興行を組の収入源の二本柱に据えた。 そして田岡によって直参組長に引き上げられた大石誉夫(山口組初代大石組組長、8月9日に誤嚥性肺炎で死去)は、芸能興行とともに建設談合の世界でもその名を轟かせるようになる。それは日本の都市開発が、主要な港湾を中心に展開されてきたからにほかならない。 いわば日本社会が暴力団とともに成長し、芸能界だけでなく、政財界もまた暴力団ともたれ合ってきた時代である。しぜんそこでは、濃密な人間関係が垣間見られた。大石は芸能界だけでなく、政財界の多くの知己と交流を続けてきた。話を芸能界に戻す。 山口組をはじめとした暴力団社会と映画界の関係を知る生き字引がいる。かつて東映やくざ映画で一世を風靡した伝説のプロデューサー・俊藤浩滋の右腕だった川勝正昭だ。 俊藤は富司純子の実父であり、寺島しのぶの祖父にあたる。社長の岡田茂と二人三脚で東映の全盛時代を築いたのち独立。俊藤が設立した「オスカープロダクション」制作部長を務めた川勝は、こんな裏事情を明かしてくれた。「愛媛出身の大石さんは、岡山県で大石組を立ちあげてあそこまでになったけど、最初は金がなかったんです。そのしんどいとき、東映の俊藤さんが『金儲けしいや』言うて助けてやった。それが岡山市内で開いた『東映祭り』でした。そこに、健さんをはじめ、鶴(鶴田浩二)さんや若山の富(三郎)さん、文(菅原文太)さん、富司純子さんらを総動員した。体育館みたいなホールのステージに彼らをあげて歌わせると、会場はいつも鈴なりの満席。興行はいつも大成功でした」 芸能界では、この手のイベントを“花興行”と呼ぶのだそうで、興行の裏に暴力団組織がいると分かっていても、警察もさほどうるさくなかった。「花興行の大きなアガリは祝儀です。大石組が仕切っているのは皆わかっているから、地元や周辺の会社の経営者たちが100万円以上包んで持って行く。山ほど祝儀が集まりました。東映祭りは年に2~4回やっていたから、大石さんは羽振りがようなって、『一生忘れへん、(東映には)恩返しせんといかん』と口癖のように僕に言うてはりました」(川勝) 芸能活動を梃子にゼネコン業界に睨みを利かせてきた大石組は、その資金力を武器に、山口組最高幹部にまで昇りつめた。◆日大名誉教授に2000万円 ちなみに高倉健主演の『山口組三代目』(1973年公開)は、田岡の長男・満がプロデュースしている。実は、満の結婚を取り持ったのが東映の俊藤だ、と川勝がこう打ち明けてくれた。「満さんの相手は、俊藤さんが富司純子の後釜に据えようとした3人の女優のうちの一人。パチンコ屋の娘だった中村英子でした。満さんとの結婚披露宴は、それは盛大でしたで」 山口組で芸能部門を担ってきた大石は、俊藤とも親しく、映画にも貢献した。俊藤浩滋はのちに岡田茂や高倉健と袂を分かち、独立する。そこからの消息はあまり伝えられていないが、独立後は資金繰りに窮していたようだ。そこで頼ったのが、大石だったという。川勝が続けた。「(俊藤が)亡くなる1年ほど前(2000年頃)だったと思います。俊藤さんは大石さんに1000万円ほど借金したのです。それで亡くなったあと、香典がいっぱい集まったので、遺族が借金を返そうとした。純子さんと腹違いの妹や弟たちの間で、誰が返しに行くか、揉めとった。純子さんは責任感が強いし、大石さんのことも知っているので自分が行こうとしたらしいけど、妹たちが反対してね。妹たちが行ったらしいけど、結局、大石さんはそのカネを受け取ったかどうか、わからへんのです」 斯界の常識からすると、借金の返済は故人への香典として受け取らないものだという。昔のやくざ気質の強い大石は、とりわけ気風よく振舞ったし、全盛期の大石にはそれくらいのゆとりもあった。私自身、大石が行きつけの高級中華料理店で、ボーイに一人5万円ずつチップを渡している姿を見たこともある。大石は知り合いに借金を頼まれると言い値を貸し、さほど取り立てもしなかったという。 大石は2004年5月、田岡満の還暦祝いも取り仕切った。司会はアナウンサーの徳光和夫、八代亜紀や細川たかし、林与一や松方弘樹、アントニオ猪木や平尾昌晃、安岡力也、内田裕也など、およそ500人の席次表には錚々たる氏名が並んだ。おまけにそこには山口組舎弟頭補佐だった大石をはじめ、大阪・盛力会会長の盛力健児、一心会会長の川崎昌彦といった直参組長も加わっていたので、大阪府警が張り込んだ。「田岡満の還暦祝いは折しも、山口組が五代目から六代目体制に移行する過程でしたから、余計に警戒しました。若頭(ナンバーツー)の宅見勝の射殺事件が起きて以降、組織の混乱が続いていた。六代目体制になる前に五代目の重鎮たちが集まったという感じでしたね」(前出の元大阪府警刑事) 芸能界に精通する大石は先妻の死後、テレビ時代劇「暴れん坊将軍」に出演していた女優を後妻に迎えた。だが、そんな山口組最高幹部も、引退後は寂しい晩年を迎えた。知人が言う。「山口組の功労者として引退後も手厚く遇されるはずだったが、山口組の分裂でそれどころではなくなった。おまけにこれまで世話になった連中も、借金を踏み倒し始めた。それで裁判になるようになった」 山口組の分裂から間もない2015年11月、日大名誉教授が山口組元最高幹部から2000万円の借金をしていたことが発覚して話題になった。まさにそれが全盛期の大石がタニマチ感覚で融通したものだ。 享年84。かつて組織の屋台骨を支えた大物組長は、恒例の山口組葬もなく、家族だけに見送られ、人知れずこの世を去った。「ヤクザと芸能」の最後の生き証人だった。※週刊ポスト2017年9月1日号
2017.08.24 16:00
週刊ポスト
NHK紅白 今年の有力候補に桑田佳祐、小柳ルミ子、純烈ら浮上
NHK紅白 今年の有力候補に桑田佳祐、小柳ルミ子、純烈ら浮上
 NHK紅白歌合戦の選考が始まるのは例年、夏頃からといわれる。そう、すでに選考はスタートしているのだ。そこで、いち早く今年の紅白の選考について考えてみたい。すでに多くの有力候補が浮上していた! コラムニストのペリー荻野さんが解説する。 * * * この暑い最中、「今年の『紅白』を予感させる」番組を見た。7月25日放送NHK『うたコン』だ。この日の番組タイトルは「魅せます!平成黄金時代・夏の陣」。わかったようなわからないようなタイトルだが、天童よしみ、福田こうへい、NMB48らも登場し、にぎやかに番組は進行した。そして、突如、不思議な光を放ったのが、「純烈」という5人組である。 平均身長183cmのイケメンによるムード歌謡というのも珍しいが、5人のうち4人がスーパーヒーロー出身というのもすごい。そういえば、私はリードボーカルの白川裕二郎を時代劇で取材したことがあった。そのときは無口な役で、こんなにもお陽気で歌がうまいとは知らなかった。彼は『忍風戦隊ハリケンジャー』のカブトライジャーであり、その前は大相撲の力士「綱ノ富士」。 この他、『百獣戦隊ガオレンジャー』のガオブラック(酒井一圭)や『仮面ライダーアギト』の『仮面ライダーギルス』(友井雄亮)、『仮面ライダー龍騎』の仮面ライダーゾルダ(小田井涼平)とガタイがいいメンバーが揃う。彼らは10年のデビュー以来、地道にスーパー銭湯や健康ランドでライブを重ねてきた「スーパー銭湯のアイドル」。 番組では、黄色い風呂桶を手にしたダンサーとともに持ち歌『愛でしばりたい』を熱唱。観客も全員黄色いタオルを振り回して、NHKホールが銭湯ムードで盛り上がった。 結成当時からの目標は「紅白出場、親孝行」。楽曲はオリコンチャート演歌・歌謡ランキングで1位を獲得しているし、古くは三波春夫、近年ではゴールデンボンバーなどが担ってきた紅白の「お祭り枠」(勝手にペリーが命名)にはぴったりだ。  この番組にはもうひとり、芸能界に憧れた母の期待を背負い、必死に頑張ってきたという丘みどりも出演。ミニスカブーツで演歌を歌ったり、さまざまな経験を積んできたとか。五木ひろし、小林幸子、三山ひろしらも経験した「苦労人初出場枠」の可能性を見た。 もちろん、大御所出場も期待される。紅白出場には「NHK貢献度」が重視されるともいわれるが、今年はソロ活動30周年の桑田佳祐が朝ドラ『ひよっこ』の主題歌を歌っているし、ひょっとして紅白もアリ? 同じく周年でいえば、石原裕次郎没後30年。NHKではBSプレミアムで特番『日本人が一番愛した男・石原裕次郎』を放送したばかり。舘ひろし、神田正輝の主演ドラマも同じくNHK BSで放送されていることを考えれば、石原軍団総出演という可能性もある。 この他、スピッツ結成30周年、ゆずも20周年、萩原健一も50周年。全員、白組というのが気になるが、紅組には50周年の和田アキ子がいるじゃないか!! 昨年は出場なしで話題になったが、今年はついに復活? 紅組の「ひとりお祭り枠」もこの人ならアリでしょう。 そして、気になるベテランがもうひとり。最近、突如としてサッカー解説者になった小柳ルミ子。作曲家平尾昌晃急逝で、紅白にコーナーができれば、平尾先生の代表作『わたしの城下町』『瀬戸の花嫁』を聴きたいファンは多いはず。また、来年の大河ドラマ『西郷どん』に薩摩藩を大混乱に陥れる薩摩藩主島津業興の側室お由羅(一説では藩主の孫らを呪い殺したとも)で出演も決定。ルミ子登場の可能性は十分アリと私はにらんでます。
2017.08.01 07:00
女性セブン
マネジャーと結婚していた平尾昌晃さん 周囲は入籍知らず
マネジャーと結婚していた平尾昌晃さん 周囲は入籍知らず
「8月以降も仕事を入れていて、『どんどん仕事をやっていきたい』と言っていた矢先だっただけに、本人はさぞ無念だったのではないかと思います」(芸能関係者) 作曲家で歌手としても活躍した平尾昌晃さんが、7月21日に亡くなった。79才だった。 平尾さんは2年前に肺がんを患って闘病。その後は入退院を繰り返し、今年5月にも「息苦しい」と訴えて約1か月にわたって入院していた。一時は回復したものの、7月13日に「蒸し暑く体調が悪い」と、病院で検査。肺炎の疑いがあったため入院したが、亡くなる前日まで食欲も旺盛で、大好きなゴルフの全英オープンと、松居一代(60才)の騒動をテレビで見るのを楽しみにしており、「(松居には)穏便に解決してほしい」などと話していたという。 だが、21日に容体が急変し、帰らぬ人となった。その傍らには身内やスタッフとともに、最期を看取った“妻”の姿。音楽業界関係者や親しい友人らも知らなかった、その“妻”の存在が波紋を広げている。《遺産騒動 心配の声》──7月25日付のスポニチに、そんな見出しが躍った。記事によると、平尾さんが昨年、チーフマネジャーだった50代女性のA子さんと結婚していたことがわかり、周囲が騒がしくなったという。《数々の名曲の著作権を持つだけでなく、不動産はもちろん、さまざまに展開した事業を含めると、相当な財産を残していたはず》 その財産は、今後、A子さんと、平尾さんの3人の子供たちの間で分け合うことになる。そんな中で、《平尾さんの偉大な功績によって遺された遺産だが、それを巡ってトラブルが起きないことを多くの人が望んでいる》と平尾さんの周囲は話していると報じている。A子さんが役員を務める平尾昌晃音楽事務所はこう話す。「遺産を巡るトラブルはありません。A子さんと息子たちの連絡も円滑で、心配するようなことは何もありません」 しかし、取材を進めていくと、たしかに家族内の“不協和音”が聞こえてきた。その話をする前に、まずは平尾さんの功績について振り返る。◆2度の離婚と3人の子供 平尾さんは1937年、東京生まれ。小学校時代から、ラジオで英語の歌詞を覚えてしまうほど洋楽に熱中。慶應高校時代は創立間もない日本ジャズ学校に通い、ウエスタンバンドを組んで進駐軍のキャンプやジャズ喫茶で演奏した。高校を中退し、1958年に歌手デビュー。『第一回日劇ウエスタンカーニバル』に参加し、ミッキー・カーチス(79才)、山下敬二郎(享年71)とともに「ロカビリー三人男」として一大ブームを巻き起こした。 その甘いマスクと歌声から「和製プレスリー」と称され、アイドル顔負けの人気ぶりだった平尾さん。しかし、もともと肺に疾患を抱えていたことから、医師に「3年間は肺を使わないように」と告げられ、60年代半ばに作曲家に転身。すると一気にその才能が開花する。 1966年に布施明(69才)の『霧の摩周湖』と梓みちよ(74才)の『渚のセニョリーナ』の両曲で日本レコード大賞作曲賞を受賞。五木ひろし(69才)の『よこはまたそがれ』や小柳ルミ子(65才)の『瀬戸の花嫁』、アグネス・チャン(61才)の『草原の輝き』、山口百恵(58才)の『赤い絆』、中条きよし(71才)の『うそ』など、ポップスから演歌まで幅広いジャンルで数々の大ヒット曲を生み出した。 1974年に平尾昌晃音楽学校(現・平尾昌晃ミュージックスクール)を開校。松田聖子(55才)、中村あゆみ(51才)、森口博子(49才)らを育てた。1978年にはスクール出身の畑中葉子(58才)とデュエットし、『カナダからの手紙』をヒットさせている。「一発当てると散財してしまう音楽関係者が多いなか、平尾さんはとても堅実な人。音楽学校の経営も順調で、業界では数少ない、音楽的才能とビジネスセンスを兼ね備えた人でした」(音楽業界関係者) その一方で、平尾さんはとても子煩悩な父親としても知られた。1972年7月、当時現役女子大生だった女性と最初の結婚。男子をもうけたが、平尾さんは音楽学校の秘蔵っ子だった小沢深雪(58才)との「不貞」を疑われ、妻に離婚と1億5000万円の慰謝料を要求される。当時、小沢はまだ16才。平尾さんが「不貞などない」と要求を突っぱねると、離婚問題は家庭裁判所に持ち込まれ、慰謝料1600万円、長男の養育費毎月15万円を支払うことで決着した。 平尾さんが小沢との再婚を発表したのはそれから2年半後、1978年7月のことだった。1978年10月に男子、1981年3月にも男の子(2004年に歌手デビューした平尾勇気・36才)が誕生した。だが、1980年代半ば、平尾さんが仕事で多忙なため“すれ違い生活”が続き、離婚した。 その後、30年以上長い独身生活を続けていた平尾さんが密かに再々婚していたというから周囲は驚いた。「A子さんは50代で、身長は160cmくらいのグラマラスな体形です。気さくで明るいパワフルな女性で、事務所の取締役も務めているビジネスパートナーでした。彼女も平尾昌晃ミュージックスクール出身で、卒業後、20年以上も平尾さんのマネジャー的役割をしていたようです」(平尾さんの知人) だが、その知人は首を傾げながらこう続ける。「平尾さんからは、『A子はパートナー』と紹介されていたものの、結婚していたということは聞いていませんでした。報道を見て知ったんです。どうも、作曲家仲間や音楽関係者にも結婚したことを隠していたようで…。私だけじゃなく仲間もみんな、入籍していたことは知らなかったと思います」※女性セブン2017年8月10日号
2017.07.27 16:00
女性セブン
故平尾昌晃さん 10億円の遺産に心配の声、息子たちと妻に溝
故平尾昌晃さん 10億円の遺産に心配の声、息子たちと妻に溝
 7月21日に亡くなった作曲家で歌手としても活躍した平尾昌晃さん(享年79)の“妻”の存在が波紋を広げている。《遺産騒動 心配の声》。7月25日付のスポニチに、そんな見出しが躍った。記事によると、平尾さんが昨年、チーフマネジャーだった50代女性のA子さんと結婚していたことがわかり、周囲が騒がしくなったというのだ。さらに、《平尾さんの偉大な功績によって遺された遺産だが、それを巡ってトラブルが起きないことを多くの人が望んでいる》と平尾さんの周囲は話していると報じている。平尾さんには最初の妻との間に1人、2人目の妻との間に2人、合計3人の息子がいる。A子さんが役員を務める平尾昌晃音楽事務所はこう話す。「遺産を巡るトラブルはありません。A子さんと息子たちの連絡も円滑で、心配するようなことは何もありません」 しかし、取材を進めていくと、たしかに家族内の“不協和音”がいくつも聞こえてきた。 前出のスポニチの記事では平尾さんの「遺産」について触れている。平尾さんが代表を務める事務所では、東京都心部に事務所兼スタジオの物件を所有している。その資産価値はおよそ2億円とされる。それ以外にも、数年前に購入したというタワーマンションもある。「平尾さんはミュージックスクールを経営する会社の代表でもありました。スクールの経営も順調。それに、かつては競馬の競走馬も所有するほど羽振りもよかった」(芸能関係者) なにより平尾さんは自身が作曲した膨大な数のヒット曲があり、音楽業界内では、「印税収入は年間2億円弱ある」といわれている。 ただ、「平尾さんの遺産は多くても10億円程度ではないか」というのは、平尾さんの知人だ。「平尾さんの2人目の妻の息子たち2人は名古屋で暮らしていますが、長男は事業をやっていて、次男は歌手やタレント活動をしています。口の悪い音楽仲間は“平尾は親バカ”というほど子煩悩なかただったので、彼らの事業費や活動費をかなり手助けしていたと聞いています。また、面倒見のいい平尾さんは親族への援助も多く、それほど蓄えているという印象はありません」 とはいえ、10億円ともいわれる遺産が今後どうなるのかを、平尾さんの友人たちは心配しているわけだ。 故人の財産が血縁関係者に移転することを「相続」という。誰に、どれくらいの割合で受け継がれるかなどは民法によって定められている。 たとえば、法廷相続人が配偶者と子供1人の場合、配偶者に半分、子供に半分が相続される。子供が2人になっても、配偶者は半分のままで、子供2人が4分の1ずつを受け取ることができる。子供が3人いる平尾さんの場合、A子さんが半分を受け取って、残りを子供3人で均等にわけるルールになっている。◆複雑化する遺産の行方「著作権の相続の場合も、著作者(作曲者)の個人管理だとしたら、不動産や株券などの財産と変わらず、相続方法も同じで、遺族に相続されます。著作権は著作者の死後、50年間にわたって保護されます。ただし、複雑なのが、個人事務所や会社で著作権を所有している場合です。その際は著作者が亡くなっても、著作権は事務所に残り、配偶者や子供たちには相続されないんです」(音楽関係者) 2014年1月に亡くなったやしきたかじんさん(享年64)のケースでも、個人事務所が資産を所有していて、それが遺産相続問題の争点になった。 たかじんさんは平尾さん同様、3度の結婚をし、最初の妻との間に娘が1人いた。その一方で、亡くなる3か月前、一般人女性のSさんと再々婚していたのだ。たかじんさんがこの世を去ると、最期を看取った3人目の妻と1人娘の間で、10億円ともいわれる遺産をめぐる激しいバトルが勃発したことはよく知られている。平尾さんの周辺でもこんな心配の声が聞こえてくる。「A子さんは平尾さんの音楽事務所の役員でもあります。事務所が著作権の印税を管理しているので、今後もそのまま会社に印税が入ることになりそうです。ただし、それでは息子たちは蚊帳の外。平尾さんの親族からは『財団を作って印税はみんなで管理してはどうか』という声も聞かれますが、A子さんら事務所関係者にすればそれは受け入れ難いことでしょうね」(前出・音楽関係者) 一部には「平尾さんは10年以上前から遺言状を作っていた」という話もある。今後、親族の間の話し合いも、その遺言状の中身次第となるのかもしれない。 平尾さんが旅立って間もないが、以前からすでにA子さんと息子たちの間には深い溝ができているという証言は多い。「次男の勇気さんがスポーツ紙のインタビューで、“家族葬は7月28日に通夜、29日に告別式を行う”と発表しました。その通り、各メディアは家族葬のスケジュールを報じたのですが、A子さんサイドが“まだ決まっていない。勝手に発表してもらっては困る”と、その日程をキャンセルして、葬儀は後ろ倒しされたんです。勇気さんは“勝手にしろ”とかなり怒っていたそうです」(前出・別の知人) 前出の音楽関係者が続ける。「A子さんは名作曲家である平尾さんのブランドを守ろうと丁寧にマネジメントをする人でした。一方で、息子たちはアーティストの血を引いているので自由闊達な雰囲気がある。要の平尾さんが逝ってしまって家族間にさらなる行き違いが生じるとしても、いたしかたないのかもしれません」 しかし、A子さんが役員を務める平尾昌晃事務所は言う。「平尾さんとA子さんが入籍したのは4年以上前のことで、“遺産目的”といった情報はまったく違うんです。また、通夜・告別式が変更になった理由ですが、まだ日程が決まっていない段階で外に出てしまっており、未定です。家族葬でもありますので、今後、発表する予定はありません」 そして、本稿締め切り間近、息子の勇気から話が聞けた。彼は、「入籍したのは4年ぐらい前だが、いつ知ったのか、誰から聞いたのかはお話しできません」という。やはり、両者に大きなしこりを感じさせる話だった。 いずれにしろ、通夜の日程すらすんなりとは決まらない不穏な雲行きを、平尾さんはどんな思いで見つめているのだろうか。※女性セブン2017年8月10日号
2017.07.26 16:00
女性セブン
畑中葉子 ライブでは3大“攻め曲”で会場大盛り上がり
畑中葉子 ライブでは3大“攻め曲”で会場大盛り上がり
 平尾昌晃とのデュエット曲『カナダからの手紙』で大ブレイクし、にっかつロマンポルノにも出演した歌手・畑中葉子が、1983年に発売された写真集『幻視の牡丹』(集英社刊)の思い出と、近況を語る。 * * * 1978年に『カナダからの手紙』でデビューしてから、紅白歌合戦出場、翌年に結婚と離婚を経験し、1980年に発売した『後から前から』が大ヒットしてにっかつロマンポルノに出演……この写真集は、そんなめまぐるしい日々の後に撮影したものです。 事務所に黙って作曲家の卵と結婚したことで世間から大バッシングを受けましたが、8か月でスピード離婚してさらに批判を浴びました。3か月ほど家の外に出られないほどでしたが、週刊ポストで撮影していただいた水着グラビアが話題になって『後から前から』発売につながっていったんです。 写真集のロケ地は香港。郊外の農村やネオンが輝く繁華街で撮影しました。ヌードは写真家とモデルが創る芸術だと思っているので、中途半端なことだけはしたくなかった。すでに写真集を1冊出していましたが、女性らしさがしっかり出ているこの作品が一番のお気に入りです。 1991年に再婚して芸能活動を休止し2児を育てた後、2010年に大手芸能事務所で活動再開したのですが、歌う場所がほとんどありませんでした。そこで2013年から個人でライブ活動に力を入れ、2014年に「後から前からTシャツ」を200枚作ったらテレビなどで取り上げていただいて完売。再ブームの波に乗って『後から前からBOX』も発売できました。 今では、若い女性アーティストのライブなんかにも呼んでもらいます。ライブでは、『後から前から』『もっと動いて』『癖になりそう…』の3大“攻め曲”を歌うと一番盛り上がりますね。もうグラビア撮影をすることはないでしょうが、歌はお墓に入るまで続けていきたいです。【プロフィール】畑中葉子(はたなか・ようこ):1959年、東京都八丈島生まれ。1978年に平尾昌晃とのデュエット曲『カナダからの手紙』でデビューし、同年紅白歌合戦に白組で出場。翌年、『ロミオ&ジュリエット’79』でソロデビュー。1980年、にっかつロマンポルノ『愛の白昼夢』に出演。主題歌を歌った同年の主演映画『後から前から』が空前のヒットとなる。 19年間の休止期間を経て、2010年に活動再開。2014年にソロデビュー35周年を記念した『後から前からBOX』を発売。歌を中心に精力的な活動を続ける。ノイズロックバンド「非常階段」とコラボした『畑中階段』が12月14日発売。「畑中階段ノイズ新年会」を2017年1月6日に東京・四谷アウトブレイク、1月15日に大阪・難波ベアーズにて開催。2月4~13日にはナガシマリゾート湯あみの島・畑中葉子歌謡ショウに出演。※週刊ポスト2016年12月23日号
2016.12.20 07:00
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在日経験のある外国人たちが「日本の没落」を口にし始めているという厳しい現実
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小室圭さんと眞子さん
小室圭さん妻・眞子さんがNYで行きつけのスーパーから見えてきた“妻の気遣い”「日本でいえば『成城石井』」 
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高橋真麻
高橋真麻「おでんの卵8個食べても太らない」女性が憧れる美スタイルの理由
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SDGs(持続可能な開発目標)についてテレビが取り上げる機会が激増していた(イメージ、時事通信フォト)
テレビ局が一斉に発信していた「SDGs」、最近見かけなくなった理由
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結婚し、日本メディアが情報をキャッチしづらいNYで、デイリーメールが追跡取材(写真/JMPA)
小室圭さん・眞子さん夫婦が「離婚で終わったとしても…」英デイリー・メールが報じた「茨の道」
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