あれこれ今後のバイトの話や求人状況の話をしていると、ロンドさんが乾いた笑い混じりにつぶやいた。諦めるも何も、プロとしてやってきたロンドさんである。外画では数々の有名作品の日本語吹き替え版をあててきた。そもそも、目指す大半は事務所に所属どころかその声優そのものにすらなれないなかで、実績があるロンドさんは特別な存在だともいえる。

「あれは事務所の力もあるんだよ、大手にいればひと山いくらで私がキャスティングされることもある。そのチャンスを活かせないとね」

 大手事務所は、一つの作品に対してまとまった人数のキャスティングをまかされることがたびたびある。ある意味、声という商品の“まとめ売り”パッケージのようなキャスティングには、事務所に所属する駆け出しの若手や、仕事の少ないベテランが一部揃えられることがある。そのパッケージ内に誰を入れるかは事務所内で決めることなので、それなりの評価をされてなければ食い込めない。そこに選ばれ続けていたのだから評価はされていたはずで、役者は虚勢を張ってなんぼの商売だ、自信を持ってほしいと力説するとロンドさんはまんざらでもない様子でうなずいた。

「嬉しいね。でも日野さんみたいに理解してくれる人ばかりじゃないからね、ずるずるとやってきたと言われればそれまでだけど、こんな世の中になるなんて思わなかったしね」

 これまで声優に限らず役者もミュージシャンもアイドルの大半はバイト先が、副業があったからやっていけた裏事情がある。自由な生き方、夢を追うための糧があるからこそ名乗ることができた。それもまた文化の豊かさであり、そのよき一面だ。いや、むしろ文化とはそういった人々の下支えがあってこそ成り立って来たといえる。誰からも知られ、愛されるスターはそんな中から生まれる。コロナという疫病はそんな夢をいとも簡単に破壊する。14世紀のペストがルネサンスの原動力になったと言われても、1億人が死んだ現実、今がもしそれだとするなら、当事者の我々がそんな悠長な話を聞いていられるわけがない。ルネサンスなんかよりその死んだ1億にいま入るのではと恐怖するのが当然だ。

「俺なんかが心配することじゃないけど、この先どうなるんでしょうね。アニメも延期、収録も抜き録りでしのいでいたのが延期や中止、そんな状態じゃ俺なんか無理かもしれんね」

 かつて自信家で、いかにも役者然としていたロンドさんがここまで追い詰められるとは。私はこれ以上の気の利いた言葉が浮かばなかった。今回の疫病は私たちが経験したことのないような災禍をもたらすだろう。それは天災のような一過性、もしくは局所的なものではなく、国全体、いや人類全体を巻き込む災禍だろう。14世紀のペストは言い過ぎかも知れないが、私たちの生命はもちろん、それまでの価値観や人生設計、将来図まで根本的に変えられてしまうだろう。そんな人類史規模の危機を鑑みれば、文化芸術など後回しになるのは自明の理だ。しかし個々人からすれば、ロンドさんからすればそうではない、それは私もそうだ。声優業界もまた、多くの人々が、ファンが育ててきた大切な日本文化のひとつだ。

「でも独身なのは幸いだよ。どうにもならなくなったら実家に帰って色々考えるけど、その時は本当に引退だな」

 声優の仕事のほとんどは都市部、というか東京に一極集中している。地方局や地方企業にもナレーションやボイスオーバーの仕事はあるがそれすらごくわずか、まずアニメやゲーム、外画のメジャーな仕事は皆無である。

「実家に帰ったら、俺どうしようかって考えるんですよ。でも金が尽きたら東京にはいられないし、仕方ないね」

 昨今、長距離移動はご法度だが、生活面で帰らざるを得ない人々もいる。疫病は、何を選択しても誰かしらの迷惑となってしまう。人々の心も分断してしまう。ロンドさんを笑うなかれ、彼にも輝かしい時代はあった。もう人間が人間を笑う時代は終わりになる。非正規や夢追い人の次は会社員だ。経済危機はもちろん、疫病による死は平等に訪れる。稚拙な公正世界仮説など通用しない。いずれ、ネットでマウントを取り合っていた時代が懐かしくなることだろう。

「ま、いろいろ愚痴っちゃったけど諦めませんよ。なんとか踏みとどまります」

 そう、ロンドさんの強みは声優として20年近くもやってこれたこと、大手事務所に所属したこともあり、少ないながらも有名作品で役名をもらい、演じたその作品が残っていることだ。それはほとんどの人には知られていないが、クレジットにはしっかり記載されている。それは誰もがたどり着けるステージではない。それを誇りに、どんな仕事でもしてこの時代を歩むしかない。声優であり続けるために、自分のこれまでの、自分だけの人生の勲章を守るために。他者の価値観に縛られる幸福ではなく、自分自身の絶対的幸福を見出さなければ本当に終わる、それほどまでに私たちはいま、漫画やアニメではない、リアルな終末世界の只中にいる。

●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ正会員。ゲーム誌やアニメ誌のライター、編集人を経てフリーランス。2018年9月、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。2019年7月『ドキュメント しくじり世代』(第三書館)でノンフィクション作家としてデビュー。12月『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)を上梓。

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