「正直、東京五輪も1年の延期ではすまないかもしれない。選手というのは、大会という目標に向かって練習する。その目標がなく、練習すらできていない選手がほとんどでしょう。選手選考もやり直しとなるかもしれない。1年という時間は、選手を別人のように成長させることもあるし、その間にとんでもない選手が現れるかもしれない」
モントリオールを走った茂と、同大会の代表になれなかった猛にとって、兄弟同時出場を目指したのがモスクワだった。1979年の福岡国際で歴史に残るデッドヒートを演じた当時23歳の瀬古と26歳の宗兄弟がモスクワの代表に。幻の代表となった三者は、4年後のロスでも代表に顔を連ねた。それが茂にとっては救いだった(瀬古は1988年のソウル五輪も走り、その年、引退した)。
目前に迫っていた五輪がなくなる──そうした試練が、アスリートをさらに成長させ、選手寿命を延ばすこともあるのだ。
※週刊ポスト2020年5月8・15日号