宗兄弟は80年代のマラソン界をリードした(時事通信フォト)
モスクワにおける団体球技種目で、出場権を手にしていたのは、女子バレーボールと男子ハンドボールのわずか2競技だけだった。
「それだけに期待も大きかった」と話すのは、男子ハンドボールの蒲生晴明(中部大教授)だ。モントリオール(9位)にも出場していた蒲生が、26歳で迎えたモスクワ五輪は、日本男子にとって飛躍の舞台となるはずだったと振り返る。
「1978年の世界選手権では、12位とはいえ、ポーランドのような強国とも良い勝負ができて、手応えがあった。不参加が決まった時には、『なんで?』の気持ちしかなかった。それ以降、ハンドボール界は力を落としてしまった。手痛いボイコットでした」
1988年ソウル五輪を最後に、日本のハンドボールは五輪に出場していない。
また、エースの横山樹理や江上由美に加え、三屋裕子(現・日本バスケットボール協会会長)を擁した女子バレーボールは、1964年東京、1976年モントリオールに続く金メダルを狙った。しかし、コートに立つことすらかなわず、三代目の東洋の魔女にはなれなかった。
茂と猛の宗兄弟は、1970年代から1980年代のマラソン界をライバル・瀬古利彦と共に牽引したランナーだった。現在はふたりが所属した旭化成の総監督を弟・猛が務め、顧問である兄の茂はマラソン指導だけでなく、気功の指導でも各地を飛び回る。コロナの感染拡大を受け、宮崎県の延岡を拠点とする名門・旭化成の陸上部は、集団で走ることはできず、スタート時間をずらし、部員が個別に走っているという。茂は言葉を選びながらこう話す。