実はY氏自身は、家業を継ぐつもりは全くなく大学に進み、東京の大手企業に一度は就職した。しかし、実家方面から聞こえてくるのは、家業の厳しい実態である。百数十人の社員とその倍以上のパート・アルバイトスタッフの生活もかかっている。何より、一族存亡の危機をどうにかしたいとUターンして家業に就いたが、目の当たりにしたのは、もはや「手遅れ」な家業の病状だった。
1990年には全国に15000店以上あったパチンコ店は、2018年時点で約10000店と三分の一が閉店に追い込まれており、3000万人だった「パチンコファン」は、今では1000万人を割るほど。娯楽の多様化や規制など、要因は様々ではあるが、斜陽業界にとどめを刺したのは2018年2月の、いわゆる「出玉規制」だ。パチンコ玉が大当たりの穴に入って出てくる玉、いわゆる出玉に上限が設定され、客への「還元率」が減少したのである。この時、多くの業界関係者からは「この商売をやめろと言われているようなもの」と、先行きを悲観する声が相次いだが、Y氏の会社でも数店が閉店、数十人の社員をリストラせざるを得なかった。また時を同じくして、ネット上を中心に、パチンコ・スロットのビジネスモデルにおけるグレー部分を指摘する議論が盛り上がり、業界のイメージはさらに悪化。店からは目に見えて客が離れていった。
「パチンコ・スロット業界のビジネスモデルそのものがグレーだと言われても、戦後間も無くからずっとこの体制でやってきて、納税もやるし、社会貢献も身を粉にしてやってきた。ただ、そんな言い訳だけじゃ、もうどうにもならないレベルまできています。こういうビジネスは現代では通用しないし、依存症の人たちに私たち業者が依存して商売を続けている面もあるという実態を、無視して許される時代ではない」(Y氏)
パチンコ業者もまったく対策をしてこなかったわけではない。全国のパチンコホール組合が集まって組織している全日本遊技事業協同組合連合会のHPをみれば、トップページに「パチンコ・パチスロ依存問題 特設ウェブサイト」へのリンクを目立つ位置に配置し、依存問題への啓発や、相談機関や医療機関へ繋げる努力を続けている。だからといって、パチンコをレジャーのひとつとして選択する人の減少は防げない。
ともあれ、遊技場経営以外のノウハウは一族にない。飲食店など、多角経営にも乗り出しているが、好景気とはいえない状況の中で、会社に残された資金がただただ流出するばかり。
「妻からも、子供がパチンコ屋の倅と言われるのは辛いと泣かれています。カジノの話もあるし、法改正によって、今店舗にある遊技台の多くを、何億という金をかけて入れ替えなければならない事態にも直面している。コロナが直接的な引き金となり、店をやめる決断をした同業者もいます。私も、遠くないうちに決断をしなければならない」(Y氏)
筆者自身、パチンコ・スロット店の存在を決して快く思わないし、あの手この手、様々な詭弁を弄して運営を続けていこうとする遊技場経営者を身勝手だとしか感じない。ただ、ほぼ100年近く、こうした事業者の存在も日本国民は受け入れてきた。それを拒否する風潮が強まっているのは、価値観が変化したからだと言えばそれまでだが、それだけだろうか。我が国に、世間に余裕がなくなった結果として事業が成り立たなくなっているように思える。不満のはけ口として標的にされ、人民裁判によって一方的に「余分なもの」と決めつけられ、糾弾され、排除される遊技場経営者。流行の移り変わりのひとつとして事業継続を諦める決断をするならまだしも、まるで社会の敵であるかのように追われるのはどこか歪んでいないか。もし彼らが姿を消したとしても、おそらく何かを攻撃したい人の気持ちは満足しない。その欲求を満たすために、次に狙われる人々が出ることも、想定しておかなければならない。