収録終わりに酒を飲むこともあった
志村さんと鶴瓶は50年来のつきあいで、1998年からは年に1度、正月の特別番組で共演している。プライベートでも仲がよく、鶴瓶は志村さんの母親とも親交を深めていた。気の置けない仲であることを考えれば、“ツーショット写真”で知之さんの脳裏から離れない笑顔を見せるのも当然かもしれない。
その間柄は、晩年の志村さんに大きな影響を与えている。
志村さんは今年、NHKの連続テレビ小説『エール』への出演や、映画『キネマの神様』の初主演など、70才を機に俳優業に力を入れていた。
「志村さんが50才を過ぎた頃、鶴瓶さんが、“もっと仕事せなあかん”“ドラマもやってみなはれ”と志村さんに俳優の仕事を提案した時期があったんです。それに対して志村さんは、芝居のオファーがあっても“人から演出されるのはどうも苦手。コントしかやらない”と断り続けていました。それでも鶴瓶さんは、志村さんの俳優姿を見たいと口にしていたんです。面と向かっては言いませんが、そのやりとりが、志村さんの中にずっと残っていた。鶴瓶さんの存在が、俳優への挑戦を決断した理由の1つなんです」(志村さんの知人)
墓に遺影、志村さんが残した死後の手続きは“型破り”続き。となると、遺産の行方も気になってしまう。
「けんが飼っていた2匹の愛犬は、有難いことに知り合いが引き取って世話をしてくれています。決まったのはこれくらい。三鷹にあるけんの家にはもう誰もいませんが、今後あの家をどうするか、遺品をどうするのか、遺産はどれくらいあったのか、まだまだ話し合いもできていない状況です」(知之さん)
志村さんの死後の手続きは、まだ始まったばかりのようだ。
※女性セブン2020年6月18日号