◆日本の歴史認識は信用されていない
昭和20年8月9日未明、ソ連は満州に侵攻開始。聯隊の主力が帰国した後も満州に留まり、シベリア送りとなった父が舞鶴港に帰還したのは、昭和23年だった。だが清水氏は、あれだけ開拓民来れと煽っておいて、満州を〈壮大な燃え草〉とした国や軍部に怒りはしても、武器も持たずに逃げ惑う人々を凌辱し、父に苦渋を強いたソ連だけを責めることはしない。例えば731部隊の犠牲者にはロシア人もいたことなど、戦争そのものを憎むのである。
「日ソ中立条約を突然反故にしたソ連も酷いけど、日本もそれ以前に相当酷いことをしている。歴史には流れがあるのに、それをソ連だけが酷いとか、南京事件はなかったとか、戦争を悔いる時も被害者としての立場で悔いる論調が多いですよね。でも実際は日本だけが正義の戦争をしたわけもなく、その逆もないんです。
親父は大正生まれなので、〈露助〉云々と敵国の悪口は言いつつも、戦争自体を憎む気持ちはそれ以上に強かった。たぶんわかっていたんです、日本人が欲をかき、大陸に進出した結果、シベリアや満州で仲間が大勢死に、自分も酷い目に遭ったのだと。
私も海外へ行くと、日本は歴史認識の点で信用されていないと感じます。知りたくない事実も知った上で悔いるべきは悔いておかないと、75年前の二の舞を危惧するくらい、当時と今の情勢は似ているかもしれません」