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2020.06.26 07:00  週刊ポスト

放送禁止歌『酋長の娘』から考える表現の不自由問題

かつてのマーシャル諸島(1946年。GRANGER/時事)

 放送禁止とされている言葉や歌がある。放送禁止といっても法律ではなく、あくまで自主規制なのだが、なぜその言葉や歌が禁じられているのか? 理由が解説されることはあまりない。評論家の呉智英氏が、放送禁止歌『酋長の娘』から表現の不自由問題と「ラバさん」問題を考えた。

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 コロナ禍も一段落。第二波第三波への懸念はあるものの、人々の顔にも落ち着きの色が見られる。私もコロナテーマから一時離れ、ゆるネタを扱ってみよう。

 六月三日NHKラジオのニュースの最後に訂正があった。

「先程のニュースの中で、マーシャル群島と申し上げましたがマーシャル諸島の誤りでした。訂正いたします」

 えっ、マーシャル群島って差別語だったのか。驚いて調べてみると、そうではなかった。外務省の定めた正式国名が「マーシャル諸島共和国」だからである。戦前の委任統治期は「マーシャル群島」であった。「ローマ法王」が「ローマ教皇」に変わったようなもので、だからといってA・ジイド『法王庁の抜け穴』が絶版になるというものではない。これと同じなのである。

 私が「マーシャル群島」も差別語かと早合点したのは、この言葉が放送禁止歌『酋長の娘』の中に出てくるからである。

 この歌については、三年前にも本欄で少しだけ触れたが(『日本衆愚社会』所収)、「酋長」だの「色は黒いが南洋じゃ美人」だの「明日は嬉しい首の祭」だの、アブナイ歌詞が頻出する。そのため現在は言葉を改竄しなければ歌えない。宗教弾圧下で隠れキリシタンが信仰を守るためにマリア像を観音像に作り変えるようなものだ。

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