個性を伸ばす教育を推進、今年3月に退職した西郷さん(撮影/浅野剛)
西郷:世田谷区も横並びで休校と決まってしまいました。ただ、休校期間中も必要のある生徒のために学校は開けていて、毎日、数人が登校していました。もしいまも校長だったら、4月からは自由登校にしたでしょう。
前川:分散登校か一斉登校か、そういう判断ではなく?
西郷:来たい子は来なさい、と。なぜなら、学校は勉強するためだけにあるのではありませんから。家庭にいづらい子だっています。学校に来る自由は、子供たちにあります。
前川:ある意味、前から桜丘中学校は自由登校でしたものね(笑い)。登校しても授業に出ず、廊下で自習していた子もいたわけだから。
西郷:反対に、コロナ休校で「やったー!」となった子もいたはずです。
前川:それは西郷先生ならではの視点ですね。“子供の感じ方は一律じゃない”ということですね。
──国立成育医療研究センターが小中高校生にとったアンケートでは、コロナ禍で「学校に行けないのがいや」と答えた子供が多数いました。休校に関して、西郷さんのもとには、どんな悩みが寄せられましたか?
西郷:実は、元教え子から、たくさん連絡がありました。例えば、とても勉強の得意な、これまで特に問題を抱えていたタイプではない男子生徒の話です。彼は、学校が再開したのに、不登校になってしまった。先日、生徒とその母親を交えてZoomで話し合ったのですが、彼が言うには、振り返ってみると自分はテストでよい成績を取ることが学校に通う目的だったと。ところが休校になった途端、やることがなくなってしまった。友達を見回すと、好きなダンスをしたり、ギターを弾いたり、「物理学者になりたい」と大学レベルの数学を独習している子もいる。自分はどうか。自分から勉強を取り除いたら、何も残らない。「テストでいい点を取るしか、ぼくには取り柄がない」と言うんです。勉強も何もかも、無意味に思えてきちゃったんですね。
前川:どうアドバイスされたんですか?
西郷:「料理でもしてみたら?」と言いました。彼、けっこうグルメなんです。彼の場合、「勉強する私」以外の「客観的に自分を見つめる、もう1人の私」を持てば、気持ちが楽になると思ったんです。「私」がひとつしかないから、それを失ったときに折れてしまったわけですから。
前川:なるほど。
西郷:料理に限らず新しいことを始めてみると、違う自分に気づくことが多いものです。でもね、今回立ち止まれたことは、この子にとってよかったと思います。いままでは忙しすぎて、人生の疑問について考える暇もなかったのでしょうから。学校、塾、宿題に追われてね。それが立ち止まって考えることができた。
前川:これは、大人にも言えることですね。「自分で考える」ということが少なくなっている。だから上から言われたことに疑問を持たずに従ってしまう。きっと彼のように立ち止まって考えるというのは、人生のワクチンなんでしょうね。彼には、これから闘っていく抗体ができた(笑い)。