もちろん「コロナ禍」という現状もある。「皆さまのおかげ」と言うメッセージに続く慣用句や、お決まりの文例のように何気なく使ったのだろう。こんな形で彼が旅立たなければ違和感を覚えることはなかったはずだ。
だが、三浦さんが亡くなった7月18日は、闘病の末に今年亡くなった私の家族の誕生日。生きていればこの日歳を数えるはずだった。また、この日の早朝には、私の友人の父が急逝したという知らせを受けたばかりだった。そうした個人的な事情とタイミングもあったからか、「無事に」という三浦さんの言葉は、「誕生日まで生き延びられた」という生への危うさや脆さを、心のどこかで感じていたのではないか、そんな印象を感じたのだ。
「見て下さっている皆さん、気にかけて下さる皆さん、めちゃくちゃ嬉しいです」。三浦さんはその後、こぼれるような笑顔を見せた。誕生日に発売された彼のエッセイ『日本製』(ワニブックス)や今後の予定について話す姿や表情からは、熱意と期待が伝わってきた。彼がこの時見ていたのは、目の前に開けていたはずの未来と、そこで活躍する自身の姿だったに違いない。