〈豊田佐吉の自動織機、御木本幸吉の真珠、高柳健次郎のブラウン管テレビジョン〉〈発明するという浪漫はどんな発明家にもある共通した概念であって、俺はその熱きものを小さい時から感じていた〉
第1章「すべては食欲からはじまった」の書き出しである。漫画雑誌『少年』を愛読し、『鉄腕アトム』の天馬博士とお茶の水博士に憧れて発明家を志した彼は、明けても暮れても食ってばかりのガキ大将でもあった。鞄の中には缶詰やマヨネーズを常備し、畑の野菜を失敬しては皆に振る舞うなど、別名〈歩く食糧事務所〉!!
「特に夏はトマトやキュウリなど、マヨネーズに合う野菜が食べ放題でね(笑い)。それでも当時は怒られなかったんです。『またター坊が採っていったのか』程度で、昔の大人は子供のすることに大らかでした」
高校に進むと、米の研ぎ汁から代用牛乳ができないかなど、〈頭でも考える食いしん坊〉になる。そして高2の時、父親に〈大傑作〉と激賞された初の発明品が、予め昆布と鰹節を仕込んで発酵させた出汁入り味噌だ。
当時はどの家も秋に自家用味噌を仕込んでいた。彼は母や女中が毎朝味噌汁用に2本もの鰹節を削り、出汁を取る労力を軽減するべく、削り残りの禿びた鰹節の再利用を兼ねて、味噌に混ぜて仕込むことを思いつく。それを〈面白そだからやってみたらいいべ〉と父親も応援してくれたのだ。