モンゴルから日本へ来た知人一家を彼女と一緒に観光案内していた照ノ富士(2015年)
8月2日の優勝インタビューでは「落ちていたときも応援してくれる方々、家族や親方、おかみさんも、部屋のみんな、支えてくれる人がいた。恩返ししないと」と穏やかに照ノ富士は話している。5年前の優勝インタビューでは、決まり文句のような感謝を話しただけだったことを思うと、どん底から復活するための地道な努力が、人を成長させたのだろう。
「よく稽古する、努力していたことを、身近な人ほど知っていると思います。膝の状態が良くないから、万全の稽古はできない。でもその代わり、身体づくりを熱心にやっていた。ある親方は『通っているジムで照ノ富士をよく見かけたが、よく鍛錬していた。努力はいいね』と感激していました」(相撲記者)
こうなると、やはり次は三役へ復帰、ゆくゆくは横綱もと期待したいところだが、照ノ富士本人は「このままだと次の場所はもたない」と謙遜する。しかし「こういう時期なので、できればみんなに勇気を与えられる相撲をとっていきたいです」と話す、山あり谷ありの相撲人生を経験した28歳には頂点に立ってほしいし、どんな嫁取りをするのかも気になるところだ。
2015年当時は飛ぶ鳥を落とす勢いで横綱を目指していた
もともと家族思いのタイプ(モンゴルからの知人一家を連れ、彼女と一緒に都内観光する照ノ富士=2015年9月)