そんな彼らは、結成からわずか3年目の1983年8月28日に解散してしまう。
「ヨッちゃんが翌月の9月1日に『THE GOOD-BYE』としてデビューすることも決まっていたので、ユニットとして区切りをつけたのでは」と当時の芸能事情に詳しいライターで『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979–2018』(青弓社)著者で松木安太郎研究家の岡野誠さんは推測する。
「1983年8月3日に公開されたマッチの主演映画『嵐を呼ぶ男』の興行収入が、同時期に公開された薬師丸ひろ子主演の『探偵物語』(同時上映は原田知世主演の『時をかける少女』)の大ヒットの影響をまともに受けて、予想以上によくなかった。さらにビートたけし(73才)やたのきんトリオが出演していたバラエティー番組『笑ってポン!』(TBS系)も低視聴率で、一時の飛ぶ鳥を落とす勢いはなくなっていたのも事実なんです」(岡野さん)
その後、近藤は歌手を続けながら、レーサーとしても知られるようになる。田原はディナーショーやコンサートを重ねている。そして、野村は浜崎あゆみのバンドなど、ギタリストや音楽プロデューサーとしての地位を確立する。
「ぼくたちの仕事は、誰にもピークの時期があります。そのことに縛られて次のステージに行けないと、それだけの人生になってしまう。でも、たのきんの3人は違う。彼らは昔の枠で自分自身を縛らずに、殻を破って飛び出している。継続は力なりと言いますが、ここまで続けてきたということは、彼らがほんまもんだったということ。すごいやつらだなと思います」(清水)
いまでも共通のクラシックカーレースに年1回出場する間柄で、家族ぐるみのつきあいの近藤について清水は、「相変わらずマインドはやんちゃ坊主ですけど、いい年の取りかたをしてる。子供の年齢が同じなので(清水は4度目の結婚)そんな話もするのですが、あのやんちゃ坊主がこんないいパパになるなんて、当時は想像もできませんでしたよ」
SMAPの解散から始まり、嵐の年内の活動休止や名だたる後輩たちの退所が続き、ファンの心配もまだ大きいだろう。だが、ひと筋の道を極めたアイドルたちが下す次のステージへの決断の前には、たのきんトリオが切り開いた大きくて太い道がある。
【Profile】
◆清水国明さん/1950年10月15日生まれ、福井県出身。1973年フォークソング・デュオ『あのねのね』 でデビュー。自然環境派、スローライフ実践者としても知られ、国際A級ロードレースライダー。『噂の東京マガジン』(TBS系)にレギュラー出演。
★岡野誠さん/テレビ番組制作会社を経てライター・芸能研究家に。著書は『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979–2018』(青弓社)。松木安太郎研究家・生島ヒロシ研究家でもある。
※女性セブン2020年8月13日号