もう一つ共通するのは、全ての編が、深く長い結びつきより、淡く刹那的なふれあいの痛切さを描いている、こと。むしろ後者の別れは取り返しのつかない決定的なものになる。LPレコードを抱いた少女との一瞬の出会い、恋人の兄と過ごした奇妙なひと時(「ウィズ・ザ・ビートルズ」)、シューマンを共に聴いた世にも醜い女性との短い付き合い(「謝肉祭」)、時々自分の名前を忘れる女性編集者のこと(「品川猿の告白」)。
表題作は怖い。「僕」がバーで飲んでいると、居合わせた女性に突然責められだす。『1Q84』などにもそういう場面はあるが、この女性は「僕」の根源的な罪をなじってくる。でも、その罪がなんだかわからない。ふふ、わからないこと自体が罪なのかもしれませんよ。
村上春樹の一人称の“等身大”であり原風景にして、新境地。
※週刊ポスト2020年8月14・21日号