張氏が頑張り続けることができたのは兄の明強氏の励ましがあったためで、明強氏は刑務所で面会するたびに、封筒と便せん、切手を100セットずつ差し入れて、「裁判所など関係機関に無罪の直訴をしろ」と助言。その手紙類は計1000通にも達したという。
張氏は無罪判決から数時間後、釈放されて故郷に戻り、ついに家族と再会。その夜、張氏は中国メディアの取材に対して、裁判所や警察など20以上の地方や政府機関が謝罪したことを明らかにした。張氏は国家賠償を申請するだけでなく、政府が張氏の住宅問題を解決するとともに、以前と同じく働けるように彼に田畑を与えるほか、80代の母親の生活を支援してほしいと訴えたという。
人権派弁護士として知られ、この裁判を担当した梁小軍・北京道平法律事務所所長は新京報の取材に対して、「中国の司法改革は遅れており、毎日のように冤罪事件が起きていると私は感じている。遅すぎた正義は正義ではない。約26年9か月以上続いたマラソン裁判はついに終わったが、いまは 興奮も喜びもない。感じるのは痛みだけだ」と語っている。