注目されるのは、同議連の呼びかけ人には2人の他に、二階側近の林幹雄・幹事長代理、菅氏に近い森山裕・国対委員長をはじめ、最大派閥・細田派会長の細田博之・元幹事長、麻生派ナンバーツーの鈴木俊一・総務会長、竹下派幹部の関口昌一・自民党参院議員会長という党中枢や派閥領袖クラスの錚々たるメンバーが加わっていることだ。
二階派ベテラン議員は、「安倍総理にもしものときは、後継者を事実上決定できる顔触れが揃っている」と見る。麻生氏が安倍首相からの禅譲を狙えば、それを防ぐため二階氏、菅氏を中心に反麻生クーデターが起きるという読みだ。
念頭にあるのは、2000年4月、時の小渕恵三・首相が脳梗塞で倒れて搬送された翌日にホテルニューオータニで開かれた、いわゆる「五人組の密議」だ。当時のメンバーは青木幹雄・官房長官、森喜朗・幹事長、野中広務・幹事長代理、亀井静香・政調会長、村上正邦・参院議員会長で、会合では村上氏が森氏に「あんたが(総理を)やればいいじゃないか」と発言し、森後継の方針が決まったとされる。
後に村上氏は本誌・週刊ポストに、「あのときは、キャリアからいって森が一番と、誰しも思ったわけですよ。私はそれを代弁しただけ」(2016年9月2日号)と語ったが、当時の自民党で次期総理の最有力候補と見られていたのは小渕氏と総裁選を争った加藤紘一・元幹事長だった。
しかし、官房長官だった青木氏には最初から早大雄弁会の1年後輩で政治家となってからも付き合いが深かった森氏を後継首相に据える狙いがあったとされる。実際、会合には加藤派の党三役だった池田行彦・総務会長が参加していない。
さらに五人組は党内の反対を封じ込めるため、会合の2日後には自民党両院議員総会と両院の本会議を開いて森首相を選出し、加藤氏らが反対の声を上げた時には森内閣が発足していた。