実際に『仕事本』に上の日記を寄稿した文化人類学者の樫永真佐夫さんは30年以上、日記を書き続けているという。
「日記は、いつも通りのことを書くのが大事」と語る。
「ぼくにとって日記は自分と向き合うためのツール。書くことで自分自身と対話しているんです。いつもと違う出来事はもちろん書きますが、その一方でいつも通りの部分も大事にしたい。自分にとってありきたりのことが、しばらくして振り返ると『あれが当たり前だったなんて』ってハッとすること、ありますよね。たとえば昨年のいま頃、気温が体温超えの今日この日、まさか自分がしらふでマスクして街を歩いているとは思いもよらなかったですしね。
日常なんて、どれほどもろくて壊れやすいものか。だから、何がいつも通りなのか、ちゃんと日記に書き留めておきたい。でも、これがなかなか難しい。日常のもろさとは、そのまま自分自身のもろさ、危うさだからかな」(樫永さん)
世代・トレンド評論家の牛窪恵さんは、「現在の日記ブームの背景には、ここ数年のマインドフルネス・ブームも関係しているのではないか」と指摘する。
「マインドフルネスとは、いまの瞬間、自分に起きている事象に意識を向けること。ヨガや瞑想にも共通する発想です。近年、SNSの普及などで周囲の評価に振り回される人が増えるなか、誰かと比べず、嫌われても自分らしく生きようとの考え方が広がりました。マインドフルネスも、自分自身の内面と向き合う側面から波及したと思います。
さらに今年は、新型コロナによってテレワークやステイホームを強いられた人々が、この先どうしようと悩むなかで、あらためて“自分を見つめ直したい”と感じる機会が増えた。そうしたかたがたが自分のいまと向き合う日記に注目し始めたのではないでしょうか」(牛窪さん)
一方、児童文学作家のあさのあつこさんは、日記を書くことは、コロナによって失われた「個」を取り戻す役割があると分析する。
「コロナの流行によって個人個人が、好きなときに里帰りしたり、旅行に行ったりするのはもちろんのこと、友達とおしゃべりしながらランチすることまで自由にできなくなってしまった。
その代わりに強いられたのが、一斉休校や一斉自粛要請など、一律した行動でした。個人の行動が制限される状況下で“私は私なんだ”と自分の内側にある個を確認したくて、日記と向き合うのだと思います。
いま何を考えているのか、何がつらいのかを自分の言葉で書き出すことで、個としての自分を保とうとするのです」(あさのさん)
これは、日記と同じように日常を記録できるSNSでは成し得ないことなのだという。
「SNSは誰かに読まれることを前提としているので、生々しい感情や支離滅裂な文章は書くことができず、誰でもある程度は理解できる内容になりがちです。
一方で自分しか読まない日記は、他者の目や評価を気にせず、生の自分と向かい合うもの。どれだけ乱暴な文体や言葉を使っても構わないので、たまっていた鬱憤のガス抜きにもなるはずです」(あさのさん)
※女性セブン2020年9月10日号