『eスポーツ選手はなぜ勉強ができるのか』著者のすいのこ氏
自らスポンサー探し、会社員を辞めて世界へ
日本で初めてのプロ格闘ゲーマーとして、2010年からプロとして活動している『ストリートファイター』のウメハラ(梅原大吾)の名前がよく取り上げられる。しかし、彼より5年早くプロ契約したゲーマーがいる。「シグマ(SIGUMA、本名は寺部鉄平)」は、2005年に株式会社ASKと契約し、1年間プロゲーマーとして活躍した。
どのような経緯で「日本人初プロゲーマー」となったのか。シグマ本人が語る。
「昔からFPSのPCゲームが好きでした。ネットカフェで開かれていた店頭大会ではよく上位に入賞していたり、マイクロソフト社主催の『ヘイロー(Halo)』というFPSの海外大会に日本代表として出場して、世界選抜の16人中5位に入賞したりもしていました。
そんな中、『ペインキラー(Painkiller)』というゲームの世界大会が2005年に開催されるというニュースを目にして、『出場したい。スポンサーを探そう』と思ったんです」
当時25歳、社会人として仕事をしていた。それでも、がむしゃらにスポンサーを探し続けたのは、大会に出て世界で活躍したいという一心だったという。
「パソコン関連の企業に片っ端からメールを送りました。基本的に返事すらなかったんですけど、ゲームのイベントなどでお会いする機会が多かったPCパーツ販売などを行なうASK様から快諾をいただきました」
シグマは会社員を辞め、日本初のプロゲーマーとなった。スポンサーからの支援内容は、各国で行われる大会への遠征費用と、最低限生活できるレベルの給与という、今のトッププロゲーマーと比較しても遜色ない待遇内容だった。
プロとなってからはより高い質の練習環境を求めてロンドンへと拠点を移した。世界大会はツアー形式で行われ、期間中はトルコ、スペイン、ブラジルなど9か国を転々とした。結果は17位、約1500ドルの賞金を得た。
1年間のツアーを終えてASKとの契約も終了、シグマは競技の世界から退いた。現在は一般企業に勤める傍ら、子供向けウェブメディア『コロコロオンライン』にて任天堂の大人気ゲーム『スプラトゥーン2』の攻略記事執筆を行っている。
シグマから見た現在のeスポーツ業界は可能性に満ち溢れたものだと語る。