例えば、国民的人気アニメ『名探偵コナン』の劇場版(1997年~)は、冒頭で必ず主人公のナレーションによって作品の設定の説明があるし、『HiGH&LOW THE MOVIE』シリーズ(2016年~)のように登場人物が多く設定も複雑な作品では、やはり冒頭でナレーションによる説明がある。これがあることによって、始めて見る人も違和感なく楽しめるのだ。
だが、今作はそういったものが一切ない。状況説明やキャラクターの説明がないまま映画が始まるものの、炭治郎たちのセリフのやり取りだけで、各キャラクターの性格や関係性、さらには置かれている状況までも観客に掴ませるつくりとなっている。もちろん、この大ブームの大部分を支えているのは熱狂的なファンのはずだが、ブームに乗って初めて『鬼滅の刃』に触れた人が満足できたことも、この社会現象の一因だっただろう。
物語の内容にもヒットの理由がある。それは今作が、悪役を“単なる悪役”として終わらせない物語である点だ。これまでのアニメ映画は、子供が見ても楽しめるよう物語の展開を分かりやすくするため、悪は悪、正義は正義、という対立の構図がほとんどだった。だが今作は、登場する鬼(=悪役)の苦しみや悲しみに寄り添い、認める優しさが表現されている。家族を惨殺されたにもかかわらず、「鬼もかつては同じ人間だった」と口にする炭治郎からは、物事の本質(本当の悪は何か)を見極め、他者を受け入れる優しさと強さが表現されているように思う。
ストレス社会で心をすり減らし、気付けば精神を病む人が増えている昨今、この作品のそうした“優しい世界”が疲れた大人を癒した側面もあったのではないだろうか。また、現代は「多様性」が求められる時代。「他者を受け入れる」というメッセージは、時代性にマッチした作品とも言える。作品を見た多くの人が、炭治郎のように自分の正義を押し付けず、 相手の立場に立って物事を見ることの出来る強く優しい人間になりたい、そう思ったのではないだろうか。
【折田侑駿】
文筆家。1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。