広島弁と笑い声が飛び交った2時間
昨年、広島に戻った吉田は、ザ・ダウンタウンズのメンバーと久しぶりの再会を果たした。吉田、73才の秋。バンドが最後に大会に出たあの秋から、50年が経っていた。
当日は元ドラマーが広島に到着した吉田を迎えに行って、夕食会の場に向かった。久々にメンバーと会った吉田は、こう語りかけたという。
「おー元気じゃったかー、どしたんない? お前ちょっと頭が薄うなっちょらんか?」
前出の吉田の知人が語る。
「東京では方言はまったく出ませんが、久しぶりに広島に帰ってきて気心の知れた親友の顔を見て、とっさに広島弁が出たようです」
全員70代で、ビールや日本酒をちびちび飲みながら「ほいじゃがのー」「なに言いよるんない」といった広島弁と笑い声が2時間ほど飛び交った。
実はその日の夕食会には、「決まり事」があった。
「『いまの話はしない』というものでした。どうしても年をとって集まると、あそこが痛い、ここが悪いと体の不具合の話になりがちです。そこで夕食会では“現在の話”を禁止し、青春時代の思い出ばかり話すことにした。音楽の話はもちろん、『お前、俺らに内緒であの娘とつきおうとったんか』など、いまだから話せる女性の話でも盛り上がったようです」(前出・吉田の知人)
若々しく、力があり余って情熱的だった時期を共に過ごした仲間との思い出話は尽きず、楽しいときはあっという間に流れていった。
だが、お開きの時間が近づくにつれて、少しずつ4人の口が重くなっていった。
「もう会えないかもしれないいな」
「今夜が最後になるのかな」「これから先、われわれが顔を合わせるときが来て、それが誰かの葬式だとしたら……そんなのはイヤだ」
そこで一同が交わしたのが、「今後、お互いの葬式には行かない」という約束だった。
「彼らにとってザ・ダウンタウンズで活動していた頃は、人生で最も純粋で楽しく、夢を語ってチャレンジし、恋をたくさんしていた時代です。拓郎さんが東京で気を張って頑張れたのも、その時代があったからでしょう。かけがえのない友だからこそ、別れることが悲しくて受け入れられない。最後の別れを口にしたくないから、お互いの葬式に出ないという約束を交わしたのでしょう」(田家さん)
広島でバンドを組んでいた時代、いまの“カリスマの吉田拓郎”は存在しなかった。名もなき青春時代。なぜあのとき、あれほどにバンドに夢中になれたのか。なぜいま郷愁に誘われるのか。そこには「仲間の存在」がある。
当時のことを吉田は周囲にこう語っているという。
「ザ・ダウンタウンズは、4人がまったく同列に音楽に接していた。人生には、そんな偶然と奇跡が生まれることがある」
半世紀にわたって「フォークのカリスマ」を背負ってきた男は、本当はずっと孤独だったのかもしれない。人生の終盤にさしかかり、大病をいくつも経験し、残された時間も考える。そんなとき、真っ白だった青春を共に過ごした友の尊さを、改めて思うのだ。
※女性セブン2020年11月26日号