クルマの魅力を熱く語っていた
ただクルマが好きというだけでなく、啓蒙活動にも精を出していたマッチ。4輪車のみならず、2輪車のメーカーや業界団体が集まるイベントのゲストスピーカーに呼ばれたり、ビジネススーツに身を包んで、「早朝から自動車メーカーの会議に出てきた」というマッチにも会ったことがある。
2013年、マッチが特別出演した舞台『DREAM BOYS JET』は、ボクシングが題材の“ドリボ”ではなく、マッチを立たせるため、クルマが題材となった。制作発表会見の際、私が「若者のクルマ離れ」に言及し、「ジャニーズの若いファンの皆さんに、クルマの魅力を知ってほしいという目的もあるのでは?」と質問したところ、マッチは待ってましたとばかり、数分間にもわたり、スラスラと当時クルマ業界が置かれている現状について話し始めた。
他の出演者や集まった記者らがキョトンとし始めたので、質問した私でさえ途中からうつ向き加減になってしまったのだが、マッチはこれまでのトークでもっとも流暢ではないかと思えるぐらい語ったのだった。
そして現在は、『近藤真彦 くるくるマッチ箱』の文化放送で度々姿を見かけた。事務所の幹部から元・宣伝担当、若手マネージャーまで3~4人に囲まれてやってくるマッチ。その姿は、いまも本当にカッコよく、スタイルも抜群で、ラジオなのにオシャレ(つまり、私服がオシャレ)で、私の年齢もあるのだろうが「マッチは若い頃より、今の方がカッコイイ」と、いつも思ってしまう。
そんなマッチの喋りはというと、華やかかりし頃の「業界人」そのもので、たとえば、私に向かって、「ねぇ、俺よりテレビ出てるんじゃない?」と話しかけてくれたりするのだ。マッチが『週刊文春』の直撃に対し、「無理無理無理無理」と答えたカンジ…、ものすごく想像ができてしまう。ボキャブラリーも、ノリも、若い頃そのままで、やはり「業界人」なのである。
マッチと同年代のジャニーズに「シブがき隊」の薬丸裕英がいて、彼は若い頃、やはり、ものすごく“業界臭”がただよっていたものだが、今はそんな雰囲気はゼロ。芸能界きっての愛妻家でイクメンと言っていいだろう。
30周年コンサートにあった妻子の姿
そうそう、今から10年前、マッチの30周年記念コンサートで、私は彼の妻子に会っている。ステージに数多くの過去映像が流れた際、後ろから「あれがパパ?」という子供の声が聞こえたのである。振り返ると、3~4才の男の子がステージ上のスクリーンをガン見していて、周囲の女性や、彼女たちの子供さんらしき男の子や女の子の姿があった。
「そうよ、パパよ」と優しく声をかけていらしたのがマッチの奥様で、「パパ?」と不思議がっていたのが息子さんである。
1994年に結婚し、13年目にやっともうけた男のお子さん。長きにわたる不妊治療をしていたことは後にマッチ本人が明かしている。私自身、長い治療経験があったこともあり、失礼とは思ったが、マッチの奥様と息子さんの姿をしげしげと眺めてしまったものだ。
御家族は幸せいっぱいだと思っていたのに今回の不倫騒動。記事を読むと、マッチの不倫をカムフラージュしていた方たちや、相手女性のプロフィールやキャラクター含め、またしても「業界人」の香りがただよってくる。
マッチの昔からのファンはいまも決して少なくなく、件のラジオ局には熱心な出待ちの方も見かける。
だが、ジャニーズのファン全体を考えると、「マッチさん」のかつての活躍を知らない人も増えてきているようだ。近年で印象深いのは、35周年祝いのため、マッチ一色になった「カウコン」会場のファンの皆さんの反応だ。
いや、私はものすごく楽しかった。10代、20代の頃のマッチの大ヒット曲をたくさん聞けたし、サプライズゲストとして、「紅白歌合戦」の審査員を終えた黒柳徹子さんが派手に駆けつけたのだから。
しかし、お目当てのアーティストのパフォーマンスや、グループシャッフルなどを見に来ていた若いファンの皆さんは「マッチ一色」となった東京ドームで、戸惑っていたものである。
「カウコン」でいえば、昨年から今年にかけて、マッチは姿を現さなかった。デビューを間近に控えたSixTONESやSnowManがフューチャーされるなど、明らかな世代交代が行われていたのである。
その前年は、タッキー&翼に花束を持ってきたが、あまり接点がないせいか、感動のシーンということにはならなかったような。