(写真左上から時計回りに)荒井晴彦、森達也、白石和彌、井上淳一の各氏
井上:荒井さん、「若ちゃん」と言えるようになったのはずいぶん後年って言っていましたけど、『濡れた賽の目』の頃、脚本家と監督の関係になってからもやはりずっと怖いと思っていたんですか。
荒井:怖いよ。俺はいじめられてたの。だって赤バス事件のしこりみたいなものがあったし。『濡れた賽の目』の時は、断崖絶壁で有名な親不知・子不知ロケをやろうということにした。そういうホンを書いたんだけど、若松さんは新潟の直江津か糸魚川まで当時、特急で行くわけだよ。ところがこっちはガイラたちと夜中じゅうハイエースに乗って行くわけ。でやっと着くと、「撮影できるかどうかちょっと見て来い」と言われて、崖を降りてくわけだよ。ちょうど満潮で波に追っかけられてるのを見て、若松さんは上で笑ってんだよ。俺がずぶ濡れで上がってくと「どうだ、あそこで撮れるか」って聞くから「いや、撮れません」っていうと「わっはっは」て笑ってね(笑)。
井上:今ならパワハラで訴えて勝てましたね(笑)。
荒井:それでメシになると女中さんをわざわざ呼んで「こいつらには漬物とごはんのおかわりだけあればいいですから」って言って、ガイラだけはこの時カメラマンだったから特別扱いで、別室で根津たちとカニとか甘えびの刺身なんかを食ってんだよ。わざとそういうことをやるんだよな。
井上:荒井さん、48年も前なのに、甘えびのことなんかよく覚えていますね(笑)。
白石:ディテールがすごいですね。
荒井:で、せっかく日本海撮りに来たのに、雨なんだよな。2日待ったかな、若松さんは、もう我慢できなくて、千葉の大原行こうって。俺が、日本海と太平洋じゃ海の色が違うって言ったら、海は海だって。
井上:昨日もこの劇場で新さんと白石、井上でトークをやったときに、ほかの時代の若松プロを描きませんかっていう質問が出ていたけれども、荒井さん、赤バスのその後を書いてくださいよ。
荒井:だって白石とか井上ってそういう目にあったことがないんじゃないの。
白石:ぼくは立ち回るのがうまかったですからね。
「これ喰えるようになるまで、がんばるんだぞ」
井上:ぼくがいたときは若松さんが超低迷期だったからそんなに作品がなかったですからね。ぼくが入ったときは若松さんが49歳の時だから、それなりに丸くなっていたと思いますよ。あの頃って若松さん、ほんとうに助監督を蹴っていました? ぼくたちはそんなこと全然なかったですけどね。
荒井:うーん、おれも電話の受け答えが悪いっていうんで蹴られそうになったことがあったな。
井上:だってあの人、ひとが電話を受けるのきらいですからね。自分でぜんぶ受けちゃう。
荒井:事務所でメシ食う時なんか同じものを食ってた?
井上:ええ、ぼくたちの頃は。若松さん自体もそんなに金がなかったから、若松さんがメシをつくってみんなで食べていましたよ。
荒井:あの頃は自分は鰻重を食って、おれとかめぐみはラーメンとかさ。それで「うまいなあ、お前ら、食いたいだろ。これ喰えるようになるまで、がんばるんだぞ」なんてうるさいんだよ(笑)。だけど、そのころ、鰻なんて食べたことなかったら、ラーメンでいいやと思ったけど。
白石:でも今の話を聞いていても荒井さんがいた頃の若松プロって楽しかったろうなと思いますよ。
荒井:そうだよ。お坊ちゃんがエライ目にあったんだから。