横浜市議時代からの縁
和泉は1953年5月、横浜市内のタバコ屋の長男として生まれた。東京大学工学部都市工学科を卒業後、1976年4月に旧建設省(現国交省)に入る。建設省の本流である土木や河川畑ではなく、住宅の建設技官だったため、事務次官レースに乗ることはなかった。
和泉と菅との出会いは、菅が横浜市会議員だった1990年代だとされる。同じ横浜市出身の建設官僚として、みなとみらい21をはじめとする道路や港湾整備について菅の相談に乗ったといわれる。が、そこではさほど目立った動きをしていない。
政官界で和泉の存在が知られるようになったのは、小泉純一郎政権時代だ。和泉は建設省OBの政務担当官房副長官だった上野公成の引きで2002年7月、内閣官房都市再生本部の事務局次長に抜擢される。ここから経済特区のスペシャリストとして政権中枢の妙味を覚え、民主党政権でも内閣官房地域活性化統合事務局長などを歴任してきた。
そして第二次安倍政権の誕生した翌2013年1月に首相補佐官となり、官房長官だった菅との関係を強めていく。和泉は先端医療政策の司令塔と位置付けられた内閣官房「健康・医療戦略室」室長に就任。菅が戦略室の総責任者となり、感染症対策に取り組んだ。
「そこで特区担当の和泉さんが手掛けたのが加計学園の獣医学部新設であり、新型インフルエンザの新薬であるアビガンの承認でした。アビガンは安倍前総理や菅総理と親しい富士フイルムホールディングスの古森重隆会長肝煎りの薬でしたから、和泉さんの力も入ったのでしょう。厚労省は一貫して新薬の承認に反対してきたが、それを強引に押し切った。通常の薬ではなく、新型インフルエンザの流行時の備蓄薬として特例承認するよう働きかけたのです」(ある厚労省の中堅幹部)
アビガンが妊婦などに使えない薬なのは知られたところだが、今年に入り新型コロナ肺炎が発生すると、和泉はコロナの薬としての承認を目指してきた。さらに大阪大学チームのアンジェスが開発している国産ワクチンも後押し。阪大チームもまた安倍前首相と旧知の間柄であり、和泉はそこにも食い込んできた。