カレーの思い出を語り合う2人
──そのロケ現場の賄いでカレーは食べなかったんですか?
幸村「食事はすべてこの『池林房』のスタッフが新宿から来てくれて担当してくれたのですが、一度だけ撮休の時にカレーを作っていただきました。ただ、コンソメの類とかが一切、入っていない辛いだけのカレーで、椎名さんはそれを召し上がって『アヒアヒカレーだなあ』とおっしゃっていたのを覚えています」
椎名「そうだっけ。しかし、カレーって大人数の時にいちばん都合がいい食べ物なんだけれど、なんでもっとやらなかったんだろう」
幸村「食材が中国からヘリコプターで届くんですが、ヘリコプター自体が来ない日もけっこうあって。椎名さんは監督で偉かったからちゃんとしたご飯を食べていたと思いますが、一番下っ端の私などは、時折何もなくて白いご飯に醤油をかけたり、ゴマをまぶしたりして『ゴマって美味しいですね』という、なかなかハングリーな生活を送っていました」
椎名「それは悪かった。潤沢なのはビールだけだったもんなあ」
日本三大食は「カレー」「ラーメン」「カツ丼」
──そんな助監督が26年の時間を経て、作家としてデビューしましたが、椎名さん率直な感想を聞かせてください。
椎名「当時から仕事のできる人だとは思っていたし、そのまま映画界でも成功した気もするんだけど、まずは感性やものの見方が素晴らしい。新人の原稿を読む時、形容詞と登場人物の名付け方に注目するんだけど、『松ぼっくり』とか『トロ子』(『私のカレーを食べてください』の登場人物)とか、秀逸ですよ。名前とキャラクターで読者に強い印象を与えることができる。会ったら聞きたかったんだけれど、序盤の設定などはフィクションなの? ノンフィクションなの?」
幸村「フィクションです。ただ、苦労はしたかもしれません」
椎名「この小説の大大大テーマであるカレーっていうのは子供の頃から好きで書き出したの?」
幸村「私、映画の助監督を、身体を壊してやめたんです。睡眠時間も短い中、異様に疲れていて調布駅の階段で転んでダダダダダって落ちて救急車で運ばれて。医者に『あなた、今はいいけれどもう一回(同じことを)やったらどうなるか分からない。死んでもいいんですか』と言われ『助監督のまま死ねないな』と思って。その後、地に足をつけて生きようと決めて鍼灸の学校に入り、会社を立ち上げてデイサービスの仕事をしていました。その間は覚悟を決めて小説も読まない映画も観ない、そういう世界とお別れをしようと、心の井戸に蓋をするような生活を送っていたのですが、やっぱり時々、(映画や小説への思いが)湧き上がってくるんです。小説なら一人で完成できる作業なので書いてみよう。そう思って書き始めました。デイサービスの仕事をしていた時、忙しくてカレーばっかり食べてたんです。だからカレーの話なら書けるかなと思って」