椎名氏が監督の映画で助監督を経験している幸村氏
──その「哀愁の町」の舞台である克美荘ではカレーは作らなかったんですか?
椎名「作りましたとも。ああいう4人で下宿しているとカレーがいちばんだもんな。みんなある程度知っているし、作りやすい。ただ、みんなそれぞれに家風のカレーがあって、人参を入れるか入れないか問題から始まって、カレー粉のほかの調味料について『ここは醤油を入れるべきだ』『ソースを提案したい』とか、意見がたくさん出る。弁護士の木村(晋介)がいたから議論も鋭いんだ。そして出来上がるとちゃんと美味しい。つまりカレーってそういう食べ物なんだよね。あと、小学館のある編集者がいて、話の長いオヤジなんだけれど『カレーは足し算』という名言を残したんだよ。彼の言ったことでそれだけは役に立ったなあ」
幸村「あの作品の中で私はコロッケ丼が好きです」
椎名「今でも俺は好きだなあ」
幸村「あれは、ネギを入れてコロッケを入れて、グツグツ甘辛く煮立てて最後に卵でとじるとあるんですけれど、ネギって長ネギなんですか? タマネギなんですか?」
椎名「タマネギ。小岩はさ、寅さんのいた下町でもあったから人情味があったんだよね。夕方に商店街を用もないのにウロウロして閉店間際の店で『おじさん、この段ボールこっちに運べばいいの?』とかわざとらしく手伝って『これ持ってけ』って何かもらうんだ。魚屋と惣菜屋と八百屋は、持ってけ率が高かったなあ」
幸村「梅雨の時期、布団を干した後で90円のカツ丼を求めてみんなで店に行くけれど休みで、男4人で巨大カツ煮をご飯にわさっと乗せて満腹になるまで食べて、銭湯に行ってきれいな布団で眠って幸せ。という章があるんですよ。椎名さんの食べ物の描写って吸引力があります。私、椎名さんが五島列島のうどんについて書いた文章を読んで、買いに走りましたもん」
──幸村さんは自身の執筆でもそのあたりを参考にしたり、イメージした部分があったりしますか?
幸村「はい。おいしい小説って、作る側より食べる側の描写の方が大事だなと思います。『哀愁の町~』を読んだら、カツ丼とコロッケ丼を食べたくなりますもんね。グルメじゃないのがいいですよね。男の貧乏メシというか」
椎名「食べる場面は複数のキャラクターが出てくるといいよね。ひとりだとナレーションで『孤独のグルメ』になっちゃう」