小松さんは1995年の阪神・淡路大震災で『大震災’95』をまとめた後、精神的に追い詰められ、鬱状態になってしまいます。
取材を受ければ記者から「『日本沈没』みたいですね」と言われたり、空襲の夢にうなされたりしたそうです。奥様と一緒になって、仕事をセーブして静養するように心がけていました。その甲斐もあって、古希を迎える頃に「やりたいことはありますか?」と聞くと、小松さんは「また同人誌がやりたい」とポツリ。それで始まったのが「小松左京マガジン」でした。
東日本大震災が起こると、老人施設にいた小松さんはテレビにかじりつき、原発に関する科学的な疑問をたくさん挙げて「体が動いて元気だったら取材に行きたい」と言っていました。
最後まで日本の未来を案じ、そして信じていたのだと思います。
【プロフィール】
乙部順子(おとべ・じゅんこ)/1950年、東京都生まれ。1977年から34年間にわたり小松氏のアシスタント、秘書、マネージャーを務める。映画『さよならジュピター』製作のために立ち上げた株式会社イオを継承し、現在は同社代表取締役。
写真/小松氏のアルバムよりお借りしました
※週刊ポスト2021年2月5日号