1995年、石毛は不調に陥り、2年後には近鉄にトレードされた。橋本は故障で戦線離脱し、以降輝きを見せることはなかった。この年に限らず、1990年代の中継ぎ陣の評価は低かった。
「当時の査定では、投球回数など目に見える部分ばかりをクローズアップしていたし、曖昧な点が多かったのでしょう。ブルペンで肩を作った回数などが査定に反映され始めたのは、1998年からです」
先発完投する投手が極端に減った今では、中継ぎ陣の年俸もアップしやすくなったように見える。巨人の中川皓太は69試合投げた2019年に1900万円から5500万円、37試合で防御率1.00の2020年に5500万円から7500万円と2年で約4倍に。今年、過去2年と同じような活躍をすれば、1億円到達も見えてくる。日本ハムから移籍2年目の鍵谷陽平は46試合3勝1敗13ホールド、防御率2.89で4000万円から6500万円にアップした。
「近年は保留者も出ないしですし、年俸の面からも中継ぎの地位は向上している。それでも、先発投手やクリーンアップを打つ選手たちと比べれば、まだ低めですが……」
1990年代の中継ぎ陣が待遇改善を訴えてきた成果が徐々に現れ始めたとも言える。2018年オフに田原誠次がブルペンの環境改善を訴えたことも忘れてはならないだろう。現在のプロ野球選手の高年俸は、球団に嫌がられるのを承知の上で物申した先人たちの努力の賜物でもある。(年俸はいずれも推定)