「介護疲れもあったのか、この頃、体調を崩すことが増えたんです。弱音を吐かない眞由美さんがつらそうな表情を浮かべるのを見て、文枝さんは『もうこれ以上、妻に負担をかけられない』と、2017年頃に治子さんを介護施設に入居させました。
同時に、最後まで自分の口から『つらい』とは言わなかった眞由美さんの姿に、自分にとっていちばん大切なのは妻だということにようやく気づいたといいます。文枝さんは、眞由美さんを自身が暮らすマンションに呼び寄せたのです。白亜の豪邸が手つかずになり、廃墟のようになったのは、家庭が崩壊したわけではなく夫婦があるべき姿に戻ったからなんです」(前出・眞由美さんの知人)
長い時を経て、夫婦は再びひとつ屋根の下で暮らし始めた。昨年はコロナの影響で、落語の公演が次々に中止となり、夫婦水いらずの時間が増えていた。この頃、眞由美さんの周囲の人たちは「彼女に活気が戻った」と口々に語っていた。
「実は彼女、数年前から闘病していたようです。義母の介護と闘病が重なり限界でした。文枝さんにとっては贖罪の思いもあったのでしょう。夫婦で暮らし始めたことで、眞由美さんにも笑顔が戻りました」(前出・眞由美さんの知人)
だが運命は残酷だった。昨秋、眞由美さんに追い討ちをかけるようにがんが発覚したのだ。
「文枝さんは時間がある限り、入院中の眞由美さんのもとを訪れていました。でも日々、眞由美さんの病状は悪化。あまりに速い病気の進行に、文枝さんはただ狼狽するしかありませんでした」(前出・眞由美さんの知人)
相次いで愛妻と実母を亡くした文枝の悲しみは、筆舌に尽くし難い。1月27日、文枝は事務所を通して、こうコメントを発表した。
《亡くなる前日、眞由美が私を見つめ「ごめんねぇ」と小さな声でいったのです。今、書きながらも、涙が止まりません。その時の眞由美は美しく、出逢った時のままでした》
糟糠の妻は最期まで夫を思い続けた──。
※女性セブン2021年2月18・25日号