その謎を解く鍵の1つが、小林秀雄が〈音楽を聴いてりゃわかる〉〈だから齋藤はわかるんだ〉と指摘した音楽的素養だ。幼い頃、近所から聞こえてくるピアノの音に魅せられた彼は、中学時代からレコード店や名曲喫茶に通い詰め、小林とも音楽を通じて親交を深めた。
「小林や河盛好蔵や一部の作家との親交はあったが、実は齋藤さんはあまり作家とは会わなかった。〈僕は忙しいんだ、毎日音楽を聴かなくちゃならないから〉と言って人を遠ざけた彼の嗅覚を培ったのは、音楽かもしれませんね。
感性という点では、ジャーナリストや文学者も似たようなところがある。様々な事実を集めて意味を推し量り、それが一般的な取材作業ではあるんだけど、事実を幾ら重ねても真実は見えてこない。
結局はその事実に隠された人間の本性とか、目に見えないものをどうとらえるか、真実を見出すかという感性の問題で、音楽が孕む物語性に親しみ、視覚や聴覚の全てを使って人間の真実に迫ろうとした鬼才の評伝を書きながら、表に出ているものがいかに限られているかを、僕自身、痛感した。それで最近クラシックを聴きかじり始めたんです。せめて少しでも小林秀雄の言う〈微妙〉に触れることができればと」
ジャーナリズムイコール文学だ
一方、新潮社の創業者一族、佐藤家との関係も興味深い。一印刷工から出発した初代義亮と、齋藤はひとのみち教団(現PL)の同志として出会い、孫の亮一(3代目社長)の家庭教師を務めた縁で新潮社に入社。が、あの菊池寛と並び称された中村武羅夫の陰で戦前を倉庫係として過ごし、肺浸潤のため兵役にも行かないまま終戦。その中村が公職追放され、同僚の多くが戦地に散った戦後に、快進撃は始まる。
「戦争の人的、物的影響はどの社にもありましたけど、倉庫係としての雌伏の時が戦後に生きたり、何が奏功するか本当にわからない。齋藤さんは亮一社長の元家庭教師だから、早大中退後、すぐに役員になったという伝説も結局デマでしたし、PLには絶対触るなという噂もそう。実際はタブーでも何でもなかったんです」
そんな伝説が邪魔してか、今一つ像を結び難い齋藤の素顔にも、本書では新事実を用意。彼の息子の存在だ。
「前妻の富士枝さんと養子縁組した小川雄二さんです。現在84歳の彼は元声楽家で、高校生の時に夫妻と音楽が縁で親しくなり、その後、再婚して家を出た齋藤さんから〈富士枝を頼む〉と託されたらしい。
ただ、彼の大学進学やベルリン留学を齋藤さんが物心両面で支え、クラシック評論家の吉田秀和に相談までしていたなんて、たぶん新潮社でも誰も知らないと思う。あの齋藤十一にもこんなに人間らしくて優しい顔があったのかと、僕自身、大発見でした」