1990年代、女子中高生に大人気だった簡単に顔写真シールが作れるプリクラことプリント倶楽部。専門店ができるほどだった(時事通信フォト)
星野さんは自身の顔に若い頃から、中高年女性が気にする「ほうれい線」が出る位置にシワがあることが我慢ならなかった。ただの笑いシワだったのだろうが、老けて見えるし、男の友人から指摘されると、それが冗談だとはしても傷ついた。そのため、思春期初期は「写真嫌い」だったと振り返る。そんな時に出会ったのが「プリクラ」だったという。
「今で言う『盛れる』ってやつですね。撮影の瞬間、光が顔に強く当たって、シワが目立たないんですよ。当時はインスタントカメラ全盛期。アレだと映ってしまうシワも、プリ(プリクラ)ならごまかせた。プリを友達と交換するじゃないですか?すると、友人の男友達とかが私のプリを見て『紹介して』と言われることが多くなりました。やっぱりプリの私はイケてるんだなって。でも実際にその男性と会ったりすると『なんか違くない?』と」
プリクラだけでなく、リアルでも「盛らなければ」と考え、星野さんが辿り着いたのは、「ギャルメイク」だった。焦茶色のファンデーションをベッタリ塗り、目の上には真っ白なラメ入りアイシャドー、鼻筋、唇にも同色のラインを引き、つけまつげは毛量の多いものを二重付けで、もはや元の顔がわからないほど。当時は「ヤマンバ」などと揶揄され、今改めて見返すと、確かに秘境地域に暮らす部族を彷彿とさせるが、それが「盛れて」さえすれば気にならなかった。
「ギャルメイクをすると、振り返られたり指を指されたり、外国人が写真を撮ってくることもありましたが、それは私が『ギャル』だから。コンプレックスに感じている部分が見られているのではない、という安心感もありましたね」
いわゆる「ギャル雑誌」の読者モデルとして活動し始めたのもその頃。渋谷センター街(当時)のプリクラ店前で仲間と暇を持て余していたところ、ギャル雑誌の編集者に声をかけられた。自身の「ギャルメイク」が盛れている、イケているのだと確信を持った瞬間だったという。
「雑誌に出るようになってからは、さらに研究しました。どんな角度で撮ると細く見えるのか、足が長く見えるのか。プリも研究しましたが、今度はカメラマンが撮るわけですから、いろんなポーズも試したりしました。自撮りに関しては、顎を引いて上目遣いにすると目は大きく見えるが媚びて見える。当時目指していたのは、ギャルっぽさを残して可愛くなれる方法はないか、ということ自信があったし、モテたくなっちゃったんですよね(笑)。当時はモデルの益若つばささんが人気で、彼女がブログやSNSにアップしている写真を参考にしていました」