学問の発達も支えると考えた製紙事業
「海上保険」のニーズを見事に察知した渋沢だが、目をつけた有望な事業は、ほかにもまだまだあった。そのうちの一つが、製紙業である。
明治の世を見渡すと、紙幣、新聞、雑誌と紙のニーズが必ず高まると渋沢は予見。また、製紙業の設立が、学問の発展には欠かせないとまで考えた。
「印刷が便利で速いということが大いに関係してくる。では印刷の価格が安く、かつ便利で速いために必要なのは何かといえば、それは紙を製造する事業が大いに関係する」
そこで渋沢は明治5(1872)年に官営で製紙事業を行うべく、設立願書を提出。翌年の明治6(1873)年に、抄紙会社を設立した。これが、現在の王子製紙株式会社と日本製紙株式会社のルーツとなる。
工場の場所を決めるにあたっては、渋沢自ら各地を調査。その結果、工場用水にきれいで良質な千川上水が利用できることから、王子に決定した。