現役軍人で唯一、襲撃対象となった渡辺錠太郎・陸軍教育総監(渡辺家蔵)
二・二六事件では、岡田啓介総理大臣、斎藤実(まこと)内大臣、高橋是清(これきよ)大蔵大臣、鈴木貫太郎侍従長ら、当時政権中枢を担っていた人物が次々に襲撃されたが、それら政府要人とは別に、現役の軍人としてただ一人標的とされたのが、渡辺大将だった。
事件から85年目にして初めて出された評伝『渡辺錠太郎伝』の著者・岩井秀一郎氏は、蹶起(けっき)部隊に狙われた要人の中でも、とくに渡辺大将が標的とされたことに注目している。
「岡田、斎藤、鈴木の三人は海軍大将で、陸軍出身は渡辺錠太郎だけでした。蹶起したのは陸軍の一部ですから、彼らは自分たちの所属する組織の上層部の人間を殺害したことになります。また、高橋と斎藤は首相経験者、岡田は現役首相、そして鈴木は後年大東亜(太平洋)戦争期間中最後の首相としてポツダム宣言を受諾することになる人物です。それに対して大将は、首相経験も大臣経験もない純粋な陸軍軍人でした。渡辺大将だけは自分の部下たちから標的にされたという点が、他の被害者と大きく違います」(岩井氏)
それだけではない。渡辺大将襲撃については疑問点が多い。
渡辺大将を襲撃した30人の下士官兵を指揮したのは、前述した安田優少尉と高橋太郎少尉の二人だった。だが、二人はまず坂井直(なおし)中尉の下で150人の兵士とともに赤坂の斎藤内府邸を襲撃する任務を課された。その後に渡辺総監襲撃を提案された安田少尉は、「(夜が明ける前に2か所を襲撃するのは)時間的にいっても実行不可能」と答えていたという。
その安田少尉が、いよいよ自分たちが渡辺大将を襲撃すると知ったのは、事件のわずか2日前だった。さらに、決行日が2月26日未明に決まったと聞かされたのは、半日ほど前の25日夕方である。とても「周到に準備された計画」とは言いがたい。
“殺した側”と“殺された側”をつなぐもの
さらに疑問なのは、襲撃場所が都心から離れた杉並区荻窪の渡辺邸であったことである。